知恵のなる木 2代目

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2008-08

悲しきエスパー‐[映画評] デッド・ゾーン

デッドゾーン デラックス版
クリストファー・ウォーケン, スティーブン・キング, デヴィッド・クローネンバーグ
ジェネオン エンタテインメント ( 2004-06-25 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

交通事故で5年間昏睡状態を続けていた高校教師のジョニー(クリストファー・ウォーケン)は、奇跡的に目覚め回復するが、なぜか人の未来を予知する能力も備わっていた。やがて彼は上院議員のスティルソン(マーティン・シーン)と出会うが、そこで彼が予知した未来は、スティルソンが核ミサイルのスイッチを押す姿だった…。

原作スティーブン・キングだけあって、らしさが光ります。

エスパーは幸福になれるのか?
この作品では、ネタばれで申し訳ないけれど、ジョーは最終的に殺されてしまう。
能力をもってしまったが故に、色々と不幸なめにあっている。
こういう超能力をもった人々は、物語の中でも迫害されることが多い。
例えば、X-MENではミュータントは迫害を受けているし、スーパーマンもバットマンも基本的に正体を隠して生活をしている。
それはおそらく、ヒトが自己の能力異常のものを恐れているからだろう。
人外の能力は、本来、神様のものであり、神様でもなんでもない宇宙人やら特殊な人間が、人外の能力をもつことは、存在と矛盾するのだ。
存在に矛盾を抱えたエスパーが、たとえ物語の中であろうとも、幸せになれるという道理はない。

080809

現実と非現実
物語は、現実と非現実とのバランスで成り立っている。
どんな物語もそうだ。現実だけの物語もないし、非現実だけの物語もない。
ハルヒも、宇宙人・未来人・エスパーがいる非現実的な状況だが、物語の基本線は、淡々とスクール・ライフを展開している。
デッド・ゾーンもエスパーになってしまったジョーが、最初これを公表するが、後に隠れるように淡々と生活を送るようになる。
現実と非現実とで最後に勝つのは、やはり現実である。
物語の最後では、非現実には退場願う、というのが基本的パターンだ。
現実が最後に勝たなくては、物語としてのリアリズムを失う。

080809

特別な存在ではないという認識
大人になるという事は、『自分が特別な存在ではない』ということを認識することである。
子供の頃は、とかく自分を特別だと勘違いするものだ。
それは、周囲の大人がそう見なしてくれているからであるが、成長するにしたがって、周囲も特別視する必要がなくなる。
なぜ周囲が特別視してくれたかというと、生活するうえで『できないこと』がたくさんあるからである。
能力を認めて特別視しているわけではなく、能力を認めていないから特別視しているのだ。
それを一時的に勘違いすることはあるものの、ヒトは成長するにしたがって、自分が特別ではないことに気づく。
かつての周囲の特別視は、自己の能力ゆえではなく、周囲のやさしさであったことに気がつく。
特別な存在は、最終的に必ず迫害される。
だから『大人』は、特別な存在でないことを認め、心底喜ぶべきなのである。
最近のワガママで無差別的な犯罪は、このことに気づけていない犯人の愚かさに、起因しているのではないだろうか?
『永遠の子供』は、ただ迷惑なだけである。


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「現在」を生きる‐[映画評] 天使のくれた時間

天使のくれた時間 デラックス版
ニコラス・ケイジ, ティア・レオーニ, ドン・チードル, ジェレミー・ピヴェン, ブレット・ラトナー
ジェネオン エンタテインメント ( 2004-11-25 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

「もしあのとき」という分岐点は、誰の人生にもある。しかしながら、過去は誰にも選ぶことはできない、未来も不確定だ。人生とは、現在を生きることなんだ。

人生で必要なもの
この映画で言えば、人生に必要なものは「愛」ということになる。
それは、家族愛であったり、夫婦愛であったり。
これは映画なので、「愛」こそが本当に必要なものになる。
映画で拝金主義、独身主義が理想として描かれているようでは、現実とのギャップがなさ過ぎる。
映画には現実との対比として愛が必要だ。
現実に移したときに、映画で理想的に描かれている「愛」が本当に機能しているのかどうかは、疑わしい。
これは、その存在が不確定であるからだろう。
また、「愛」そのものの定義が、人によってバラバラであるため、曖昧模糊である。
愛だけでは、暮らしていけないのが現実なのだ。
例えば、「卒業」で結婚式から逃げた二人は幸せになるだろうか? この映画で言えば、エリートとして歩んできた二人が本当に仕事を犠牲にして、家庭を作り上げることは可能なのだろうか?
家族を会社として考えてみれば、夫も妻も社長タイプなのだ。
とても、うまくいくとは思えない。
しかしながら、二人にはお金がある。たいていのものはお金で買える。
おそらく、幸せな家族を装うくらいの金には困っていないだろう。
映画よりも現実の人生では、さらにお金が重要である。
映画とは違い、生活がある。
愛だけでは、おなかはふくれないのだ。

080721

あの時ああしていたら
こういう映画を見ると必ず、「あの時ああしていたら、どうなっていただろう」と思う。
あの子と別れずに付き合っていたら、あの時のテストでもっとがんばっていたら、あの時のシュートを決めていたら、あの時あんなことを言わなければ、あげていけばきりがない。
そういう考えの多くは、普段は忘れているものだ。忘れていなくては、現実問題として生活に支障をきたしてしまう。
けれど、ふとしたとき、映画を見たとき、に思い出す。
同窓会で昔の友人に会ったとき、昔の彼女にあったとき、昔の写真を見たとき。
だれでも、そういう思い出の一つや二つはある。
過去の選択と行動の結果、今の状態にいる。
しかしながら、変えられるのは「現在」だけなのだ。
過去を変えることは不可能だし、未来は自分の力だけではどうしようもない。
過去をクヨクヨ振り返る奴は多いが、はっきり言って不毛だ。意味がないし、惨めだ。
逆に、未来だけを見つめているのも、現実感がなく、地に足が着いていない。
答えは簡単だ。「現在」だけを見つめればいい。過去や未来でなく、今生きている現在だけ。
無駄なことはやめて、現在だけを見れば、無意味なストレスが減る。
映画の主人公も最後には、過去や未来でなく、『現在』を変えたのだ。
『現在』こそが、人生である。

080721

きらめきは一瞬のもの
映画の中で、『天使』が「きらめきは一瞬のもの」と言う。
映画にはもちろん、起承転結があるから、きらめきがある。
物語のきらめきとは、「転」だ。
物事がひっくり返る「転」こそが、きらめきなのである。
相対的に盛り上がるところが「転」だから、それは一瞬になる。
現実の人生もそうなのだろう。きっと輝くのは一瞬だ。
過去を振り返って、人生の転換期となった瞬間が、人生のきらめき、「転」なのだろう。
少なくとも、そんなに長い期間ではないはずだ。
後の残りは、起・承・結なわけだ。
結は、人生の終わりだから、誰にもわからない。
だから、残りの起・承が人生の大半を占めるわけだ。
人生は、サッカーみたいだと思う。
シュート・チャンスのようなスペクタクルな瞬間というのは、瞬間と言うだけあって、一瞬である。
一試合で、ボールに触れられる時間はそんなに長くない。
残りの時間は、ボールなしで走り回る時間である。実はこっちの時間の方が圧倒的に長い。
その時間に、いかに効率的・効果的に動けるかというのが、シュート・チャンスをものにできるか、できないかの違いだ。
幸せの神様には、後ろ髪がないと言うから、少なくとも自分にとって大切なことくらいは、準備を怠ってはいけない。


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美しい人生は金で買えるのか?-[映画評] あなたに降る夢

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美しい人生は金で買えるのか?-[映画評] あなたに降る夢

あなたに降る夢
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント ( 2008-06-04 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

真面目な警察官が、宝くじを当てて金持ちになって、かわいいウェイトレスとよろしくやっちゃう映画。
ひどく、偏った見方をするとそういう映画。
もっと良い言い方をすれば、本当の愛を宝くじの当選という奇跡によって得た映画。
物事は常に複数の切り口があるものだ。

0711

黒ぶちのメガネは、きれいな人がするとかわいい
単なるわたしの好みです。
きれいな人は「高嶺の花」となってしまっていることがある。
男性には、手が出せないような領域があるのだ。
すごくきれいで、大人っぽい人にはあまり手が出せないものである。
そんな女性が、ダサいメガネをすることによって、隙を作ることができる。
隙を意図的に作ることによって、高嶺から降りてきてくださっているのだ。
こういうギャップを作為的に作り出すことが重要です。
単に、わたしがメガネの女性が好きであるというだけの話なんですけどね。

金は人間性が表れる
金とは手段・道具であるにもかかわらず、それ以上の価値を付けてしまう。
それは、金が労働の対価であるという考え方に支えられている。
古くからある考え方だ。
だから、ホリエモン・村上ファンドの人は嫌われたのだ。
この考え方の根底には、労働で得た金はキレイなカネで、『マネーゲーム』で得た金は汚いカネという思いがある。
カネにキレイも汚いもないはずだが、自己の労働を尊いものと考えるように自己承認をするために必要な思考だ。
しかし一方では、せっせと当たらない宝くじを買う。
この映画の主人公は、数百万ドルの宝くじが当たった。
現実では、宝くじはあたらないものである。
昔、数学の先生が「宝くじを買うヤツはこの教室から出て行け」と言っていた。
数学の先生からすれば、それほど確立の低いものなのだろう。
そのアドバイス通り、わたしはいままで宝くじを買ったことはない。
宝くじを買ったことはないが、株はよく買っている。
株の方が、宝くじよりは効率のいいゲームだからだ。
映画の中で、人間性の簡単な表現としては、声があげられる
意地悪な妻の声は、低い。
対照的に、心優しいウェイトレスの声は、美しい。
声はイメージとして、善悪を伝える表現の一つだ。
アンパンマンで、アンパンマンとバイキンマンの声が入れ替わったら、正義と悪は子供には理解できなくなるであろう。
そして、容姿が入れ替わったら、コレは完全にカオスになる。
ウルトラマンがウルトラマンとして理解されるには、その容姿が大切である。
ウルトラマンが正義なのは、容姿がカッコいいからだ。
現実でも、美しいことは、それだけで才能で善なのだ。

0711

「めでたし、めでたしで終わるのがおとぎ話」
ラブ・ストーリーは、結婚が最終目標であることが多く、それ以後が描かれることは非常に少ない。
結婚以後は、自分の両親を見ていれば分かるが、消して楽しいことばかりではない。
そこには、現実という人生がまちかまえているのだ。
生活感のない物語が描けるのはここまでで、そこから先の方が本当は長いわけだけれども、実際、『絵』になるようなものでもなく、山も谷もない。
そういったものが人生の大半を占めているのが現実である。
現実からあまり離れすぎてしまっては、物語がSFになってしまう。
だから、生活感のない山あり谷ありを切り取ると、10代の青春だとか、20代〜30代前半までの恋愛観になるわけだ。
そこが一番人生で、見た目のきれいな所なのだろう。


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好奇心という麻薬-[映画評]80デイズ

80デイズ
ジャッキー・チェン, スティーヴ・クーガン, ジム・ブロードベント, イアン・マクニース, アーノルド・シュワルツェネッガー, キャシー・ベイツ, フランク・コラチ, ジュール・ベルヌ
日本ヘラルド映画(PCH) ( 2005-03-16 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

今で言えば、80日間で世界一周など余裕だが、車も走っていない時代では考えられないことである。
考えられないことに挑戦したがるのが、科学者の宿命というものである。
悪いと分かっていて、爆弾を作っちゃうのも、この宿命、好奇心のせいだ。
考えてみれば、アクションスターも同じである。
危険と分かっていることに挑戦するのは、なにも金のためだけではないだろう。
彼等の肉体的好奇心を満たす宿命が、そこには存在するのだ。

アクション・スターの生まれる土壌
ジャッキー・チェンといえば、イスを使ったアクションである。
アクション・コメディで、わたしたちを楽しませてくれる。
彼ほど万人受けするアクションスターも珍しい。
アクション・コメディでいえば、もはや伝説的存在だ。
そしてこの映画では、燃えよデブゴンなどで知られるサモ・ハン・キンポーも出演している。
彼もアクション・コメディーでは、ジャッキーほど知られてはいないが、なくてはならない存在である。
ジャッキーと彼とのコンビで何本のヒット作を作り上げただろうか。
アクション・スターというのは、ハングリーな土壌なくしては生まれない。
燃えるハングリー精神がなければ、アクション映画は成立しないのだ。
だから、もはや高齢化社会を迎えている日本においては、アクション・スターが誕生することはない。
アクション・スターが生まれる土壌というのは、まだ成長過程にあるという証拠なのだ。
邦画にアクション映画はないと言うあなたは、早計である。
日本のアクション映画は、仁侠映画である。あれこそが、ジャパニーズ・アクションなのである。
そういう意味では、アクション映画の国アメリカにはまだ成長する余地があるということだし、『マッハ』などで知られるタイも成長過程の国といえる。

0706

「伝統を侮辱する気か!」
映画で科学大臣が言うセリフである。
この言葉ほど科学者が口にしてはいけないセリフもないだろう。
数学と科学の違いは、ここにある。
数学は、正解がある。
しかしながら、科学に正解はない。
正確に言えば、科学では現在信じられていること正解にしている。
既存の理論をぶっ壊す理論が、明日見つかるかもしれない。
だから、科学の世界では、伝統を尊重していてはダメだ。
伝統を少しバカにしているくらいが、ちょうどいい。
でなければ、既存の理論をぶち壊すような理論は生まれてこない。
そういった理論を生み出せるような人は、まさに天才ということになる。
凡庸な科学者というのは、サラリーマンと同じ様に、積み上げていくようなそういう研究を行う。
どちらがなくても科学は発展しない。どちらも必要なのだ。
主役が偉くて、脇役が偉くないということはない。
もちろん多くの科学者・研究者は、脇役的である。

0706

世界一周ってどういう定義だろう?
どういう経路かは知らないが、現代なら6日間で出来るらしい。
たぶん世界というのは、大陸のことを言っているのだろう。
80日くらいで世界を一周しても意味がない。ただの移動である。6日間ならなおさら。
世界を一周するならやはり、3年ぐらいは欲しい
まだ受けたことのない刺激を受けたいというのは、生物の太古の欲求だろう。
こういうことを考えると、仕事なんてしている場合ではないような気がしてくる。
仕事をしなくては、生活が出来ないというのは、なんと悲しいことなのだろうか。
アラブの石油王とかの息子になりたい。
世界一周と関係ないけど、ヒモにしてくれる女性も募集しています。

テーマ:映画★★★★★レビュー - ジャンル:映画

楽しく『努力』しましょうよ‐[映画評] ドクターストップ全員感染

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(1987/02/21)
スティーブ・グッテンバーグ

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アメリカ中の医大に落ち、南米のとある国の大学の医大生になった主人公のドタバタ・コメディ。

点数が君の人生を左右するのか?
南米のとある国の医大が舞台となっているので、当然テストがある。
テストは結構難しいらしい。
主人公はテストに向けて猛勉強をする。
前日にテストを行うことが発表されたから、否応なく、一夜漬けになる。
しかし、主人公は試験当日、テストの席を間違えて、欠席扱いになってしまう。
ひどいと思い、学長にかけあうが聞く耳をもたない。
あげく、学長はこう言い放つ、「点数が君の人生を左右するのか?」。
このシーンは、映画の中では学長のひどい人間性を強調するシーンなんだけれど、わたしはひどい人間だとは思わなかった。
じつは、わたしも自分の小学校の先生から前に同じような言葉を言われたことがあった。
先生が、通知表を渡すときにクラスの全員に言った。
「通知表に書かれていることは、単に学校での評価であって、あなたたちの全てを表すものではない。気にする必要はない」
先生はそう言った。
先生は、学校教育の限界について言っていたのかもしれないし、ただ単に通知表のことについて親から文句を言われないように、予防線を張っただけかもしれない。
でもその話を聞いてから、わたしは他人のつける評価を気にしなくなった。
学校のテストについても、自分の『仕事』はテストを受けることで、採点し評価するのはわたしの仕事ではないと考えるようになった。
だから、自己採点もほとんどしたことがない。
テストの結果は結果としてうけとめればいい。それがその人の人間性全てを表しているわけではなく、極々限られた、一部分しか表せていないことに気づいたほうがいい。


勉強も面白くなければ意味がない
医師になるわけだから、解剖学を学ばなくてはならない。
しかし、映画にでてく大学では、死体が高いので、解剖の実習を一組5分しかやってもらえない。
そこで生徒たちは、死体を調達しに出かける。もちろん解剖の実習をするためである。
これは、コメディではあるが、勉強の本質をついている。
勉強の本質は、自主性にある。
誰かの話を聞いて『勉強になる』というのは、本物ではない。
勉強していて楽しいときは、自主性が伴っていることに、社会人になると気がつくことがある。
教室で受ける授業は、どうしても受身・お客さんなのだ。
だから、面白さが欠けてしまう。
映画に出てくる彼等は、勉強したいのだ。
死体がなければ、死体を調達してまで解剖がしたい。
それぐらい、勉強への渇望が強烈なのだ。
自主性が伴うものならば、それは本当に自分がしたいことであり、面白い勉強なのだ。
そういう勉強ならば、一時的な点数など気にする必要はない。
そもそも、誰かの評価や承認を気にするようなものでもない。

0626

一生懸命努力すれば夢はかなう、なんてことはない
この映画の生徒たちは、医師になりたくてそれに邁進している。
希望と現実を一致させるために、努力をしている。
しかしながら、これは映画であり、フィクションだ。
現実世界で、希望と現実を一致させることは難しい。
それが職業であると、さらにたちが悪い。
職業は、能力以外に縁というファクターも重要である。
そもそも、職業は需要があって成り立つ。
需要がなければ、仕事は発生しないのだ。
仕事とは、どれも穴を埋めるような作業だ。誰かが、どこかの穴を埋めている。
それがたまたま、薬剤師であったり、総理大臣であったり、芸人であったりするだけなのだ。
それが、縁なのんだ。
穴を埋める作業だから、そもそも穴が開いていなければ、埋めることができない。
そこが難しいところだ。縁という穴が開いていなければ、需要は発生しないのだ。
それを知っているくせに、大人は子供に『将来の夢』というかたちで職業選択を迫る。
まるで、努力すれば、必ずなれるようなキレイごとを言う。
世の中、努力だけではどうにもならないことの方が多い。
そして、努力をしてもたかが知れていることは、明白である。
あなたも・わたしも努力をしたが、所詮この程度なのだ。
努力という言葉は、ニコニコしながら近寄ってくるので気をつけたほうがいい。

テーマ:今日観た映画 - ジャンル:映画

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関係ないですが、一応、薬剤師をやってます。
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