チェルシーのオーナーは何がしたいんだ?
大好きな監督だけに、少し哀しいです。
オーナーは、観客を魅了するサッカーがお好みのようです。
魅了するサッカーというのは、定義が曖昧で、人によって違うということは、前にも書きましたが、オーナーの定義は、きっと4点も5点もゴールを入れて勝つような試合なのでしょう。
オーナーの取ってきた選手、バラック、シェフチェンコ、はどちらも攻撃的な選手で、チームカラーに合っているとも言いがたい。
バラックのプレーエリアはランパードとかぶるし、シェフチェンコにポストプレーは期待できない。
チーム事情に合った選手でないと、どんなに優秀な選手であっても、チームとして機能しない。
チームとして機能しなければ、試合では勝てない。
試合で勝てなければ、観客を魅了することなど…。
なんだか、負のスパイラルにはいってしまったような気がするチェルシーの新監督はだれがやるのだろうか?
ちょっと気になります。

モウリーニョには、念願だったポルトガル代表監督なんていいんじゃない?
効かない薬
魔女的不運さ

もう秋だというのに酷い暑さである。
クーラーが壊れていて、すさまじい暑さをダイレクトに受けている。
たぶん、今どき、太陽と戦っているのはわたしくらいなものだろう。
こういうときの不運さをわたしは、「魔女的不運さ」と勝手に呼んでいる。

おそらく、わたしの前世である誰かが、魔女に呪いをかけられてこのような不運な状況にいるのだろうという、たくましい創造である。
時々人生に顔をだすこの魔女的不運さと戦いながら、わたしは人生をポジティブに生きている。
うちの犬には、そんなことは解らないようで、相変わらずの暑さを恨めしそうにこちらを見つめている。
このさい彼には、熊谷ほどでないことを、むしろ幸運に思ってほしいくらいである。
(画像と文章は関係ありません。暑さを伝えるイメージです)
いくつまで外でボールを蹴れるのか

別に壁あてしていたわけじゃなくて、リフティングしてたんだけどね。
人が通ったり、車が通るたびに、ちょっと難しいトリック練習してますよみたいな、ワザをやってしまうわけ。
内またぎとか、外またぎとかやってみてもできないんだけどね…。
別に、道を通る人がこっち見てるわけでもないんだけれど、単純にボール蹴ってるのが少し恥ずかしい。
小学生ぐらいのときは平気でボール蹴ってたんだけどね…。

フットサルやる人は、普段どんなところで練習してるんだろうか?
(画像は、文章とは無関係なサラリーマンNEOのものです)
このぐらい出来るとすごくいいんだけどね。
美の巨人たち ロダン
で今回は、ロダンです。

考える人でおなじみの巨匠です。
この人の作品の特徴は、人間臭いということ。
現代の立体造形のほとんどがそうであるように、理想の人間像を作り上げるというのが、立体彫刻というもので、それはオタクのフィギュアだろうが、芸術作品だろうが基本的には同じ。
むしろ美しさを求めている段階の萌えフィギュアは、所詮その程度のもので、歴史的には美術が19世紀に通過したところをウロウロしている感じ。
まあ、そんなことはひとまずおいといて…、人間臭さを過度に強調する荒々しさがロダンの作風なわけです。
で、そのなかで異質なのが、「接吻」という作品。

綺麗でロダンらしくない綺麗な作品。ココに注目するあたりに美の巨人たちの価値があると思う。
まあ、番組ではその当時の恋愛が影響していたんじゃないかってことになってます。

なんか、芸術家って原動力が、『恋愛』である人がけっこう多いよね。
芸術の秋だから、そういううんちく的教養を入れてみるのもいいかもしれない。
75歳の壁
薬局で働いているとよくわかる。
薬局で怒鳴りだす人は、若者よりも、むしろ35〜65歳までに多い。
基本的に中年である。
若者は、わりと礼節をわきまえているものだ。
いまだに、怒鳴ったり、無理難題を言ってくる若者は見たことがない。
一方、中年は、自己中心的な人が多い。
平気でケータイでしゃべっているのも中年に多い。
わたしの勤めている薬局は、1日150人くらいの患者さんがくるが、1人くらいは怒鳴ったり、無理なことを言ってきたりする患者さんがいる。
決まって35〜65歳の間に入るひとである。
近頃というわけでもなく、中年というのはもともと傲慢なものなのかもしれない。
また、薬も多くなり始めるのが中年ぐらいからだから、調剤に時間がかかるということも事実だけれど…。
中年以上の人は、薬が多いということも、時間がかかるということも理解している。
薬をもらい慣れているので、「作っといて、後でまた来るから」とかなんとか言って、どっかに行く人も多い。
そこからさらに高齢者になると、そうこれが俗に言う(わたしが個人的に言っているだけです)『75歳の壁』越えの年代である。
この壁を越えると、不思議なことに角のある人、自己中心的な人というのは、まずいない。
薬を渡すときに「お手数かけました」とか、「忙しいところすいません」とか言ってきたりする。
傲慢な中年の後に投薬に行くと、人間として格が違うという感じさえする。
もうね、感謝、感謝で人生過ごしてるんだよね。あれぐらいの余裕がわたしにも欲しいものです。
結論を言うと、中年はなんか鈍感過ぎやしませんか?ということなんだよね。自分の身体に対しても、人の感情に対しても。
眠剤の使い分け
入眠障害の場合
神経症傾向が弱い→マイスリー、アモバン
神経症傾向が強い→レンドルミン、デパス、ハルシオン
途中覚醒・早朝覚醒の場合
神経症傾向が弱い→ドラール
神経症傾向が強い→ロヒプノール、ベンザリン、ユーロジン
腎・肝障害がある場合
→エバミール

投薬にいくと、「薬を飲んでも5時間しか眠れない」とうったえるおばちゃんもいる。
わたしは普段から6時間睡眠なので、そんだけ眠れりゃあ十分だろ!、とつっこみたくなる。
ただ、薬を使い始めると、飲まないと不安になってしまうという人も多い。もともと神経質な人に不眠は多いからね。
身体的な依存というよりも、精神的依存のある意味では『強い』薬でもある。
さんまのまんま 山本モナ
で、たまたま、さんまのまんま見てたら、山本モナがでてるからボーッと見ていたんだけど、ほんとにこの番組は、内容が無くて、ほとんど飲み屋の会話を放送しているようなものだけど、面白いよね。

飲み屋の会話って、酒飲んでるからどんな話でも面白いけど、ほとんどのことは内容なんてなくて、同じ話を何回もループしてたりする。
でも、そういうときの会話の本質は、情報伝達ではなくて、情報を吐き出すことにあると最近思うんだ。

テレビやネットで情報はインプットされるばかりで、アウトプットの場というのはほとんどないというのが、一般的なことで、たまったものはどこかで吐き出さなくてはならない。
そういう、脳内情報のゴミを飲み屋で吐き出して、脳味噌をデフラグするというのも、脳味噌を綺麗に保つ方法ではないだろうか?
きちんとした料理の仕方について
その先輩は、普段、料理をしないから、とうぜん料理が下手なわけで、事前に練習したらしい。
そのこと自体は、間違いではないし、むしろ彼氏に積極的にアピールする部分だと思う。
練習したことをアピールすることによって、「あなたへの愛」をアピールできるわけだ。
しかしながら、よくよく話を聞いてみると、彼氏に料理を作るときの基本的なマナーができていない。
コレができていないようでは、いくら料理が上手く作れても意味がない。
世の女性が失敗しないように、わたしが基本的なマナーを紹介しておこう。
マナーその1 髪はあげろ
髪を結べるくらい長い場合は、必ず、結ぶかあげるかする。できれば、うなじを見せる。
マナーその2 エプロンを着ろ
コレをしない女性は、男心がまったくわかっていない。エプロンをした女性を横から眺めながら手伝う、あるいは邪魔をする、後ろから眺めるということが楽しいのである。
いつもと変わらない格好で料理したら、それは単純に料理の評価だけになる。当然そうなる。
視覚のプラスアルファをつけることによって、意識がそちらに移るので、もともと1つのことにしか集中できない男性の脳にとっては、普段とは違うかわいい彼女を見て、「味なんてどうでもいいか」となるのである。
この二つを守れば、基本的に失敗はありえない。
ただ、この話をした後の先輩の「アンタのフェチを押し付けないでよ」的な視線が痛かった…。
グータンヌーボー
最近テレビにでているタレントが年下ばかりで、私も歳をとったのだなと自覚しています…。

この子はあんまり知らないけれど、西遊記の歌を歌っている子らしいです。

で、こっちはアンパンマンの中の人ですね。
何を言いたいかというと、別れた後に友達になれる人となれない人とがいるということ。
わたしは、なれない人なのです。
だいたい、男女の友情というものがあるとは信じていません。
どちらかに、恋愛感情以上のものがなければ、異性間での密度の濃いコミュニケーションというのは成立しないのではないだろうか?というのが、わたしの考えなので。
別れた後、友達になれる人をうらやましくも思います。
しかしながら、やっぱり、友達としてはお互いに知りすぎている感じがするんだよね。
最近、恋愛してないからなぁ…。
テーマ:深夜・バラエティ番組! - ジャンル:テレビ・ラジオ
夜は短し歩けよ乙女 森見登美彦
![]() | 夜は短し歩けよ乙女 森見 登美彦 (2006/11/29) 角川書店 この商品の詳細を見る |
「よろしいですか。女たるもの、のべつまくなし鉄拳をふるってはいけません。けれどもこの広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆です。ですから、ふるいたくない鉄拳を敢えてふるわねばならぬ時もある。そんなときは私の教えたおともだちパンチをお使いなさい。堅く握った拳には愛がないけれども、おともだちパンチには愛がある。愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開けるのです」
ジャンルわけの難しい本で、表面上は恋愛なんだけれど、ファンタジーのようでもある。
文章としては堅いんだけど、ライトノベルのようでもある。
色々なところで地に足の着いていない作品。
自称『天狗』なんていう正体不明な人もでてくる。
本筋は、大学生の男女の恋愛であるが、それを無視するかのように起こるドタバタが面白い。
男女ともに古風な感じのいわゆる大学生で、いまどきこんなひといねぇよ、とつっ込みたくなる。
しかしながら、そんな古さの中に突然ケータイが出てきたりするから、たぶん現代なのだろう。
本の評価としては、B−。
ちなみに、本屋大賞2位です(1位よりも2位が好きなもので…)。
喪失と獲得 ニコラス ハンフリー
![]() | 喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 ニコラス ハンフリー (2004/10) 紀伊國屋書店 この商品の詳細を見る |
これは、現代の『救世主・預言者』たちにも当てはまる。彼らの多くは、とてもよく似ている。率直に言えば、イエスは、大衆に奇跡をみせるとき、すべてとは言わないまでも、ほとんどの場合、まるで奇術師そっくりに振る舞ったのである。
詳しい話は、スプーン曲げ少年の場合を参照して欲しい。
わたしは、法律家ではないが、法というのは、世界の曖昧さを排除するシステムだと思う。法的行為の全目的は認知的な制御を確率することではないかと、わたしは提案したい。
法の下には、どんなものの曖昧さも排除するべきだと思う。
しかしながら、たとえそれが物や動物であろうとも、というのは多少言いすぎだろう。
過度な神経質の結果は、聖母マリア像が裁かれた例を参照して欲しい。
自らのアイデンティティを示すために、子供のアイデンティティを犠牲するというのは、よくあることで、薬局で仕事をしていると、ユニークな名前の子供が多いことに驚く。昔からずっとそうだった。親は、自らに宗教的あるいは社会的利益をもたらすために自分の子供を利用してきたし、今もそうしている。自分たちの社会的、宗教的立場を維持するために、子供に着飾らせ、教育を施し、洗礼させ、堅信礼やバルミツヴァに連れて行く。
ユニークであることが個性だと思っている人が多い。
名前で個性を表さなくても、すでに十分個性的であるということに気づけないらしい。
「きらら」なんていうケロロ軍曹の仲間みたいな名前の子もいた。
そんなわたしも、そういう名前の流行にもれずに「たつや」なわけだけれど(もちろん「タッチ」の影響である)、まだこれくらいなら許容範囲かという気もする。
本の評価は、小難しい話が多いけれど読みやすいので、C−。














