人間とは何か マーク・トウェイン 再説人間機械論
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五 再説人間機械論
どうだ、わしの言った通りだろう。心って奴はな、人間からは独立しているんだよ。
人と心というものは、別々に活動している。
決して自らの心を自由に操れる人間はいない。
例えば、大掃除をやらなくちゃいけないけれど、していないのもそのせいだろう。
心は、朝起きたときから勝って気ままに思索をめぐらしている。
これは、本人の意思とは無関係である。
恋愛も本人の意思とは無関係である。
好きなものは、好きなのだ理屈ではない。
こう考えると、統合失調症の妄想とか幻聴とかも、珍しいものでもないような気もする。
誰にでも、全然関係ないときに、好きな歌が頭の中をグルグルまわることや、妄想を膨らますことはある。
そういうものが、一般的な領域を超えたところで病気という定義に入るのかもしれない。
人間とは何か マーク・トウェイン 訓練、教育
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四 訓練、教育
信仰が人間関係の影響を受けるというのは、当然である。好悪も、政治意識も、趣味も、そして道徳、信仰も、すべてそれらをつくり出すのは、周囲からの影響なんだ。自分でつくりだすなんてことは、絶対にない。
子供は、親の信仰しているものを信じるように教育される。
だから、否応なしに信仰は『遺伝』する。
esって映画を観たことがある。
模擬刑務所で囚人と看守に別れて生活するというもの。
囚人役の人は囚人らしく、看守役の人はより看守らしく、次第に変化していった。
たぶんこういう変化は日常的におきているのだろう。
ここで大事なのが、老人と青年との対立でもある、自分が先か、社会が先かという問題。まず君の理想をより高く、さらにより高くするように努めることだな。そしてその行き着くところは、みずからを満足させると同時に、隣人たちや、ひろく社会にも善をなすといった行為、そうした行為の中に君自身まず最大の喜びを見出すという境地を志すことさ。
老人は自分→社会という順序で満足を与える。
青年は社会→自分という順序。
どちらの考え方がより高貴ということに意味はない。
どちらの方が現実に近いかという意味では、前者の方が近いように思う。
外的要因のただ一つのことで、人間が動くのではない。
積もり積もった要因によって、人は訓練・教育され、最後の一つの要因によって行動を決定する。
最後の双子の挿話は、具体的で面白かった。
この挿話は、先天的要因(素質)と後天的要因(教育)とをしめす例とも思える。
関連
es[エス]
人間とは何か マーク・トウェイン その例証
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三 その例証
人間は善悪で判断しているのではなく、生まれつきの性質(先天的性質)と教育(後天的性質)によってのみ、行動を判断している。つまり、彼の生まれつきと教育とだけに、つねに忠実だってことさ。
それも、自分の満足のために行動している。
だから、人殺しの衝動もボランティアの衝動も根源的には同じ。
どちらも自己満足のため、心の安心のためにそうしている。
老人に言わせれば、どんな自己犠牲的なことも、見方を変えれば、自己満足・自己陶酔が必ずあるという。
見方としては、そういう見方もあるのだろう。
どこで思考を止めるかというのが、問題なんだと思う。
ボランティアってすごいなってところで止めるか、もっと内面まで考えるかの違いだけで、その人のしている行動に違いはない。
だったら、教育のたまものである『良いこと』をしていた方がましなような気もする。
人間とは何か マーク・トウェイン 人間唯一の衝動
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二 人間唯一の衝動
自己犠牲の衝動は、複数の衝動群からなっているという青年にたいして老人がいう言葉。じゃ、言うがね、法則というのはただ一つ、根源もまた一つだってことだな。
ただ一つの根源とは、自己満足に過ぎないということ。
人それぞれの良心は、教育の結果、一定の方向を向いている。
わたしは、性善説なんていうのは嘘っぱちだと思う。
自己満足・自己陶酔を『自己犠牲』と呼ぶことで、肯定する。まず自分自身の安心感、心の慰めを求めるという以外には、絶対にありえんのだな。
しかしながら、自己犠牲によって心の安心を得ていることは、自明である。
24時間テレビでの偽善たっぷりの演出も、自己満足の成れの果てだろう。
特に、テレビメディアはそういった偽善をビジネスに変えるのが上手い。
結果的に誰かのプラスになることを批判するつもりはないけれど、自分たちの満足も認めたほうが健全だとは思う。
世論の影響力というものは、想像しているよりも強い。そうなんだよ‐世論って奴はしばしば人間をしてどんなことだってやらせる。
世論を分割していくと小さなグループになる。
ここで今人気の「KY」というものが出てくる。
空気を読むということは、そのグループの『世論』に従うということである。
アフガンを攻撃したときも、アメリカ人は世間の空気を読んだわけだ。
その選択が、良いとか悪いとかは別にして、世論に反することをすることに不安を感じる人は、自己の満足のために世論どうりの選択をするだろう。
人間の衝動は、外的要因に対するその人間の『良心』によって決まる。
その良心は、自己のより安心・満足を得られる方を選択する。
ココに善悪が影響するのは、教育の結果なのだと思う。
人間とは何か マーク・トウェイン 人間即機械・人間の価値
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人生に幻滅している老人は、青年にむかって、人間の自由意志を否定し、「人間が全く環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎない」ことを論証する。人間社会の理想と、現実に存在する利己心とを対置させつつ、マーク・トウェイン(1835‐1910)はそのペシミスティックな人間観に読者をひきこんでゆく。当初匿名で発表された晩年の対話体評論。
一 人間即機械・人間の価値
人間を機械だとする老人は、論理展開として、具体例である岩石→金属という精製過程から自説を説明する。
変化というものは、外的要因によってもたらされるもので、その結果として何かを得ることがある。岩石自身の中にあるものとしては、何物もこれを排除する力はなく、また、そうする意志もない。
そういった変化が、いい方向に働くこともあるし、悪い方に働くこともある。
わたしが、本を読むようになったのも何かの影響だろ。
養老猛の『バカの壁』で、人間の事象に対する変化をy=axであらわしていたものがあった。
その考え方に近い考え方だと思う。
一切のものには限界がある‐鉄鉱石を黄金にするまでの教育は不可能
わたしもこの考え方には賛成せざるを得ない。
わたしは、イチローにはなれないし、オダギリジョーにもなれない。
たとえイチローのように幼い頃から猛練習していたとしても無理だろう。
ヒトにはそれぞれ限界がある。
その限界のなかで最善を尽くすのがベストなのだろうが、そこまで割り切れるほど単純でもない。
そういったものを『夢』とか『希望』とか言ったりするのだろう。
自己犠牲とはいったい何だ?
老人の人間を行動に駆り立てる唯一無二の衝動とは自分自身の心の満足だ、という言葉から、青年の自己犠牲はどう説明するのか?という問いに対する答え。
まず議論するためにはその言葉の定義を揃えなくてはならない。
ちょうど、分数の足し算や引き算をするときと似ている。
この場合、自己犠牲という言葉の定義である。
自分自身のためにはこれっぽっちも利益にならんというのに、他人のためにつくすってことですよ。
青年はこう答えるが、ココまで単純な純粋バカは現実にはいないだろう。
自己犠牲に自己陶酔が雑じっていることは、誰でも分るし。
自己満足を肯定できない青年は、酷くゆがんでいるようにも感じる。
遠い太鼓
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ギリシャ・イタリアなど数年間に亘る滞在記『ノルウェイの森』執筆直前から3年間の海外生活を、軽やかに楽しく、さらに作家の内なる呟きを爽やかに書き下ろした、待望の長篇エッセイ。
作家の文章というものは、ほとんどジャンルを選ばない。
面白いものは、面白いのだ。
単なる旅行のルポだって村上春樹にかかれば、飽きずに読める。
独特の視点がいいのか、文章のリズムがいいのかは分らないけれど、面白い。
わたしは、出不精なほうなので、あまり旅行とかには行かないけれど、コレを読むと、いつも長期の旅行に行きたくなってしまう。
できれば、語学も身に着けたいものである。
秋葉原の集合体的イデア

秋葉原で忘年会をやりました。
少し早めについてしまったので、秋葉原をフラフラしていたんだけれど、まずはじめにヨドバシカメラに行って、本屋から徐々に見物しながら下っていった。
本屋はわりとでかくて、けっこう品揃えがよかった。
下っていくと、あることに気がつく。
それは、店内にいる人の雰囲気がなんだか似ているということだ。
たぶん、秋葉原には秋葉原のイデアがあるのだろう。
彼らはある種の集合体であり、その集合体の一部である。
外国人でも、そういう集合体のみごとな一部となっている。
これらのイデアの象徴的メタファーが、メディアの取り上げる『ヲタク』なのだろう。
いびつに誇張された『ヲタク』は秋葉原を歩いて見た限りいなかった。
ローゼンメイデンの格好(キャラクタの名前を知らない)をした男はいたけれど…。
美少女アニメの紙袋を持った白人青年はいたけれど…。
ある種、彼らが近代的ヤッピーなのだろう。
猫→ドイツ語というイメージの飛躍。

レンタル・ビデオ屋に行った帰りに黒と白の猫を見た。
遠くから見るとまだ若い感じだったけれど、近づいてみたら立派な猫だった。
猫は、近づいてきたわたしを無視するかのように家と家との隙間に逃げていった。
猫は炬燵で丸くなると童謡では歌っていたけれど、家のない猫はどこで暖をとるのだろうか?
仕事の帰りに、空き地で集会をしている猫を見かける。
彼らは、なんだかアウトローなイメージである。
いままで、猫を飼ったことはない。
猫というのはどうも自由なイメージの動物で、一緒に暮らすとうことが想像できない。
それは、彼らの自由を冒涜するようにさえ感じる。
もっと、イメージを走らせるならば、警察と泥棒のイメージは顕著である。
警察にふさわしいのは犬で、泥棒にふさわしいのは猫のような気がする。
警察犬は聞いたことがあるし、泥棒猫も聞いたことがある。
男性と女性のイメージでは、犬は男性、猫は女性のイメージがある。
ドイツ語でも犬は「der Hund」だし、猫は「die Katze」だ。
derとかdieは英語のthe見たいな物で、ドイツ語ではこういうのを使う。
derは男性名詞、dieは女性名詞であることを表している。
たまにドイツ語を思い出すと面白い。
Warum lernt er Deutsch?
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パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド 2
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ハッキリ言って、面白いものではない。
ジョニー・デップ、オーランド・ブルームのファンは見れば良いと思う。
3作も続いて面白いという例は、とても稀で、それはもう偶々アルビノの虎を夢で見てしまったというくらい稀なことなんだと思う。
もう人生を切り売りしたくないんだよ。

なんだか、こういう番組を見ていると、自分がひどく人生を無駄に生きているような気がする。
無駄なことに時間をさきすぎているような気がする。
わたしのしている仕事は、金を稼ぐための仕事で、別に好きでやっているわけではない。
そこそこの金額はもらっているが、こんなに必要なのか?とも思う。
もっと、まとまった休みが欲しい。
年収を50万ぐらい減らしても、わたしの生活には支障はないし、その分、休みが増えるのなら、その方が良いと思った。

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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣
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フロー型の情報ばかり扱っていると、記憶に残らず、結局、アイデアが実現していきません。常に、ストック型の情報へと整理し直していく必要があるわけです。
つまり、湧いてでては消えていく情報をどこかに記録しておけよってこと。
著書のなかではブログをツールとして使うことを推奨している。
インプット→アウトプットの流れが大切ということ。
舞妓Haaaan!!!
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東京の食品会社に勤めるサラリーマンの公彦は、熱狂的な舞妓ファン。なんと舞妓さんのHPも作成している。そんな彼に京都支社への転勤話が。狂喜乱舞する公彦。ついに夢にまでみたお茶屋体験ができる! 彼は恋人の富士子をふって、いざ京都へ。公彦は“一見さんお断り”という敷居の高いお茶屋を、仕事で結果を残して、社長に連れてってもらうことで突破! しかし、舞い上がったのも束の間、野球選手がお金にモノをいわせて豪遊しているのを見て、ライバル心が沸いてくる。そんなとき富士子は「舞妓になって見返してやる!」とこっそり京都で舞妓修行を始める…。
すごく面白い。
木更津キャッツアイが好きだった人は、こういうのりは大好きなんじゃないだろうか?
物語としても、体系は古典的なつくりで、安定感がある。
古典的だが、飛躍がすさまじいのが、宮藤官九郎ですよ。
舞妓さん役として、有名な女優さんもでていたけれど、一番は駒子役の小出早織さんでした。
なんかすごかった…。
もうね、オーラが違った。
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小出早織ブログ
ブックオフというビジネスモデルについて思うこと

まず最初に、わたしはブックオフが大好きである。
なぜなら本が安いからである。
本屋さんでは、何時までたっても値段の変わることのない本も、ひとたび中古になると、とたんに安くなるのである。
リサイクルとかそういう地球環境的活動には興味はないが、同じ内容のものが安い値段で手に入るということは、素晴らしいことだと思う。
しかしながら、ブックオフのいち株主として思うこともある。
わたしは、コミックコーナーがハッキリいって気にくわない。
コミックコーナーは立ち読みばっかりで、スペース的に無駄である。
商売の効率を考えたら、あんまり必要ないのではないかとも思う。
客単価を下げているのは、間違いなくあのコーナーだ。
お客が、立ち読みした本を買うとも思えない。
だから、思い切って、ブックオフの店舗での販売から、コミックを除いてしまうというのはどうだろうか?
ネット販売も開始したことだし、コミックはネットで販売すればいいのではないだろうか?
状態のいいコミックだけを販売すれば、ネット販売でも売れると思う。
そうなると、コミックのスペースもいらないし、店員も減らせる。
コミックをまとめ買いする人なんかも自宅に送ってもらった方が楽だし。
買取だけ各店舗で行うようにして、状態の悪いものは0円で廃棄。
そうすれば不動在庫もなくなるし、1石2鳥のような気がする。
そういう本屋ってよくない?
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人の夢は笑わない

『ぺキー・スーの結婚』っていう映画で、ジム・キャリーも脇役で出ていた。
ちなみに右のフサフサしているのが、ニコラス・ケイジです。
映画の内容は、ペギー・スーっていうおばさんがタイムスリップして高校時代を過ごすとう、わりとありがちなもの。
ラストもわりとありがちな感じだった。
昼寝をした。
こういうときだけ、うちの犬はくっついてウデ枕で寝る。
なんとも男心が分っているかわいいヤツである(オス犬だけどね…)。
ブックオフに巡回にいく。
『ROOKIES』を立ち読みして、他人の夢は笑わないことに決めた。
帰ってからもう1つニコラス・ケイジの映画をみた。
『パラダイスへの逃亡』という映画だけれど、クリスマスらしい映画だった。

さっき、『星を継ぐもの』を読み終った。
つぎは、『タイタンの妖女』でもよむかね。
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星を継ぐもの
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月面調査員が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。綿密な調査の結果、この死体は何と死後五万年を経過していることがわかった。果たして現生人類とのつながりはいかなるものなのか。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見された……。ハードSFの新星が一世を風靡した出世作。
読み終わるのに、だいぶ時間がかかってしまった。
ミステリィとしては、わりとスッキリしている。
途中で、?って感じた所も最後に説明されるているし。
最後の最後で、謎が残るのだけれど、それも上手く説明されている。
コレに気がつかなかった、ハントはバカなんじゃないかと思った。
SFにしてはファンタジーの少ない良作。
宇宙って面白いと思った。
ネアンデルタール人とホモサピエンスの考察も史実を知らないから、楽しめた。
史実を知っていると、そうでもないんだろうけれど。
作品の評価はB+。
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リレンザについて
効能・効果
A型又はB型インフルエンザウイルス感染症の治療及びその予防
タミフルと同じように2日以内に投与することが望ましい。
用法・用量
治療の場合
成人・小児には、2ブリスターを1日2回、5日間。
予防の場合
成人・小児んは、2ブリスターを1日1回10日間。
*大人も子どもも使い方は同じで、ロタディスクみたいに吸入する。
作用機序はタミフルと一緒。
ノイラミニダーゼ阻害だから、ウイルスが増えた後は効果が期待できない。
インフルエンザは流行っているのだろうか?
卸さんは流行ってるって言うけれど…。
うちの薬局にはまだ1人しか来ていない。
リレンザ、在庫たくさんあります。
返品できません…。
( ´Д⊂ヽウェェェン
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ヒーローに会いたい

朝から、撮りためていた映画のランボー2を観た。
ランボーが、ベトナムから1人で味方の捕虜を救出する物語。
上のシーンは、ランボーを助けなかった米軍に怒りを込めて雄叫びをしているところである。
ランボーはとにかく火薬の多かった一昔前の映画で、映画によって人々は抑圧を解消していた時代の産物だった。
わたしにとってのヒーローは、もちろん特撮ヒーローである。
宇宙刑事であり、仮面ライダーであり、ウルトラマンである。
もっと具体的に言えば、ギャバンであり、仮面ライダー・ブラックであり、ウルトラマンタロウである
よくよく考えれば、ウルトラマンタロウというのは思い切ったネーミングだと思う。
ちょっと前から、宇宙刑事ギャバンのOPを歌っている自分に気づくことがある。
若さ、若さってなんだ、振り向かないことさ〜♪
あ〜いってなんだ、躊躇わないこ〜と〜さ〜♪
のヤツである。
もちろん、ニコニコにもyoutubeにもある。
聴くとEDもなかなか良いと思う。
いや、正直、感動した。
目から汗が出そうになった。
通勤時に聴いてテンションを上げようか。
ようは、串田アキラが好きなんだな…。
バナナフィッシュにうってつけの日
「きみはただ目を開けて、バナナフィッシュを見張ってれば、それでよろし。今日はバナナフィッシュにうってつけの日だから」
ナイン・ストーリーズ J.D.サリンジャー
きょうは、シルベスタ・スタローンの映画を二つ観た。
どちらも今となっては思い出せないほど内容のないものだったけれど、観ていたときは面白かったのだから不思議だ。
特に、スタローンが殺し屋だった方は、面白かった。
もう1本があまりにもつまらなかったので、口直しにケロロ軍曹を見た。

昼にすき屋のオクラ牛丼を食べた。
わたしはコレが大好きである。
食べたことのない人は一度、食べてみるといい。
それから、WETCをやった(この略語だけでわかる人は、わたしと感性が合う)。
やっと、1シーズンを終えた。
結果は、キエーボで5位(戦力的には6位)だから、まあまあだ。
少し出かけて、BRUTUSを立ち読みした。
カート・ボガネットのタイタンの妖女を大田光が好きだといっていた。
わたしも前にその影響でこの本を買ったが、まだ読んでいない。
帰りにbook offに行って、本を物色したが、家に本が溜まっているので、買うのをあきらめた。
セルジオ越後の新書が欲しかった…。
そして、「バナナフィッシュにうってつけの日」を読み返したわけである。
<ユニクロ>パリに仏1号店オープン 欧州大陸に初出店
ユニクロで下着、靴下を買うけれど、フランス人にも受け入れられるのだろうか。
ファーストリテイリングの株価は高すぎて買えないけれど、ユニクロの商品なら買える。
ただ、男性の商品はややゆったりめにできているので、注意が必要である。
ユニクロのアウターは、怖くて、絶対に買えない…。
海外出店は、利益云々よりも、日本でのイメージ戦略の一環としか思えない。
ユニクロ≒しまむら、ではなくユニクロ≒GAPをめざしているのではないだろうか?
特に白人コンプレックスの日本には、イメージ戦略として、間違っていないと思う。
まあ、外人は何を着てもなんとなく洒落て見えるからね。
実は、ユニクロのオンライン・ショップで通勤用の手袋とニットを買ったのはナイショだ。
ヒートテックインナーの下のほうも欲しいと思ったけれど、「ヒートテックって言うとかっこいいけど、所詮、ももひきだろ」と思ってしまったのでやめた。
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なぜジーンズはインチ表示を止めないのか?
2本買った。
まあ、普通のストレート・ジーンズだけれど(今更スキニーということもあるまい)。
ダメージ加工のものと、普通のもの。
ブーツ・インは雑誌で紹介しているほど流行らなかったようだ。
流行などその程度のものだろう。
誰にも流行など作れないし、流行ったところで少し時間が経てば、腐った果実のように忌み嫌われる。
ジーンズと言いだしたのは何時からだろうか?
少なくともわたしが中学生だった頃は「ジーパン」と言っていた。
その頃は、ビンテージなんていうワインに使うような言葉をジーパンに使っていた。
最近では、そういう熱も冷め、あの頃よりもジーンズは安くなっている気がする。
赤耳なんていう言葉もあった。
言葉は文化の象徴であり、豊富なボキャブラリーは文化の豊かさの象徴である。
ただ、インチ表示は面倒なので止めてもらいたい…。
時計じかけのオレンジ
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I was cured all right.
言われているほどの、暴力性は感じなかった。
ただ、ホームレスを殴るところも、『雨に歌えば』を歌いながら行う暴力も、十分に強烈ではある。
『雨に歌えば』を聞いても、ジーン・ケリーを思い出すことはないかもしれない…。
時代背景も考えると、映画公開された当時の衝撃は、こんなものではなかっただろう。
意味のない暴力とレイプ、不条理な行動である。
ただ、現代的に見れば、ホラー映画の血しぶきとかそういうものがコメディ的な扱いを受けているから、それほどすごいものとも思えなかった。
例えば、暴力性ならチャイルド・プレイとかそのあたりのスプラッター映画のほうが暴力的ではあるし、レイプもハッキリ言えば18禁のアダルトコーナーにあるものの方がすごいだろう。
時代によってすごさというのは変わるから、暴力性というものは現代的な目で見れば、それほどでもない(作家の復讐の顔はすごかったけど)。
映像として、撮り方のキレイさはさすがという感じがする。
アップも引きも、現代の目でみてもすごいのは事実。
映画には、思考を促す映画と娯楽としての映画とがある。
この映画は間違いなく前者。
映画としての評価は、B−。
















