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2008年06月の記事一覧

美しさとは何か?-[書評] 猫の建築家   森 博嗣  

猫の建築家 (光文社文庫)

猫が静止して、物事を眺めていることがある。
深く、見るともなく見ているあの視線である。
著者は、そんなところから、「猫の美学」を着想したのかもしれない。
文章は軽く、内容はあるような・ないような、詩的な感じ。
イラストには、もう少しバリエーションがあってもいいような気がした。

ただ、造られたままの形ではなく、
造られたときの機能を果たせなくなったものが、
いくつか残っているだけだ。
But there remained things
that had lost their original forms,
that had lost their functions.

機能がないのに形式的に残っているものは、意外と多い。
スーツの袖のボタンなんかは、ただの飾りだ。
あれは、その昔ナポレオンが遠征したときに、寒冷地で兵士たちが袖口で鼻水を拭くのを見て、止めさせるために付けたって話を、どこかで聞いた。
それから付けられたとしたら、我々はいまだにナポレオンから無意識に教育されていることになる。
ナポレオンは、偉大である。
機能がないのに残っているものは、物だけではない。
動物の臓器には、そういった類のものが多い。
人間の盲腸なんかはまさにそれだし、光の届かない深海でも、以前眼だった器官のある動物は多い。
これは、『保険』なのだ。
いつか環境が変わって、必要になることがあるかもしれない。
生物とは、可能性を残しておくものなのである。
イチローのバッティング理論と同じだ。


この謙虚さは、「猫」の羨望である。
All cats admire their modesty.

ここの英語訳にいささか疑問を感じる。
ここは、「All cats」じゃなく、ただの「Cats」ではないかと思う。
この本の表題が、『猫の建築家』であるから、先行条件として「猫」、猫の中の「建築家」ということになる。
すなわち、猫すべてを指すのではなく、猫の中の建築家を指すのだから、もっと丁寧に書けば「cats of architect」ではないかと思う。
しかも「」で猫をくくっているのだから、ただの猫だとは考えられない。
ただの、屁理屈だと思ってください。
しかしながら、英語の文章としては面白い。
こういう文章を英語のテキストとして使ったら、少し暗記する気にもなる。
暗記教育は、現在、嫌われているようだが、学問の基礎は暗記にある。
暗記による、人マネから入るのが、王道なのだ。
まったく新しいものを個人で生み出せるということは、極々稀なことだ。


「美」は、「形」なのか「機能」なのか、それとも「猫」なのか。
What is the reality of "beauty", "form", or"cat"?

美しいということは、それだけで才能であり、利点である。
美人薄命と言うが、それは間違いだ。
美人の薄命だけが物語になるので、不美人の薄命が目立たないだけである。
「美しさ」という観点での選択は、誰もが日常的に行っている。
誰もが、自分にとっての「美しい」方を選択している。
それらの選択が人によって違うから、人生が多様化するのである。
例えば、わたしの身近なことで言えば、本屋に行ったときに、わたしは本の包装にこだわる。
内容が気になる本でも、包装が気に食わない本は買わない。
包装にこだわれない作者の作品など、読む気にならないし、見る気もしなくなる。
こだわりが重要なのだ。
もっと、精神的な例をあげれば、病気との闘い方にも美学が表れる。
闘病するか・静観するかという選択である。
確実に治る見込みのある病気なら、誰でも戦うだろう。
しかしながら、癌の末期だったらどうだろう?
放射線・抗癌剤治療で戦い続けるだろうか?、それとも生活の質を下げない最小限の治療だけで残りの人生を癌とともに生活するだろうか?
この選択はどちらが正しいということはない。
どちらも人生を生きるという意味では、正しい。
ただ、あまりにも前者の選択をする人が多すぎる。これは、メディアの影響が大きいのだろう。
前者が物語りになり、後者が物語りにならないというだけであるのにもかかわらず。
前者が「戦い」で、後者が「逃げ」だという考え方は、間違っている。
こういうニュースもある。

新薬 延命効果わずか

生活の質を下げてまでする治療に意味があるのかを、今考えている。
これは、個人の美学の問題である。


関連
[映画評] 愛しのローズマリー
美の巨人たち ロダン
猫→ドイツ語というイメージの飛躍。

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tag:   イラスト  森博嗣   
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楽しく『努力』しましょうよ‐[映画評] ドクターストップ全員感染  

ドクターストップ全員感染ドクターストップ全員感染
(1987/02/21)
スティーブ・グッテンバーグ

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アメリカ中の医大に落ち、南米のとある国の大学の医大生になった主人公のドタバタ・コメディ。

点数が君の人生を左右するのか?
南米のとある国の医大が舞台となっているので、当然テストがある。
テストは結構難しいらしい。
主人公はテストに向けて猛勉強をする。
前日にテストを行うことが発表されたから、否応なく、一夜漬けになる。
しかし、主人公は試験当日、テストの席を間違えて、欠席扱いになってしまう。
ひどいと思い、学長にかけあうが聞く耳をもたない。
あげく、学長はこう言い放つ、「点数が君の人生を左右するのか?」。
このシーンは、映画の中では学長のひどい人間性を強調するシーンなんだけれど、わたしはひどい人間だとは思わなかった。
じつは、わたしも自分の小学校の先生から前に同じような言葉を言われたことがあった。
先生が、通知表を渡すときにクラスの全員に言った。
「通知表に書かれていることは、単に学校での評価であって、あなたたちの全てを表すものではない。気にする必要はない」
先生はそう言った。
先生は、学校教育の限界について言っていたのかもしれないし、ただ単に通知表のことについて親から文句を言われないように、予防線を張っただけかもしれない。
でもその話を聞いてから、わたしは他人のつける評価を気にしなくなった。
学校のテストについても、自分の『仕事』はテストを受けることで、採点し評価するのはわたしの仕事ではないと考えるようになった。
だから、自己採点もほとんどしたことがない。
テストの結果は結果としてうけとめればいい。それがその人の人間性全てを表しているわけではなく、極々限られた、一部分しか表せていないことに気づいたほうがいい。


勉強も面白くなければ意味がない
医師になるわけだから、解剖学を学ばなくてはならない。
しかし、映画にでてく大学では、死体が高いので、解剖の実習を一組5分しかやってもらえない。
そこで生徒たちは、死体を調達しに出かける。もちろん解剖の実習をするためである。
これは、コメディではあるが、勉強の本質をついている。
勉強の本質は、自主性にある。
誰かの話を聞いて『勉強になる』というのは、本物ではない。
勉強していて楽しいときは、自主性が伴っていることに、社会人になると気がつくことがある。
教室で受ける授業は、どうしても受身・お客さんなのだ。
だから、面白さが欠けてしまう。
映画に出てくる彼等は、勉強したいのだ。
死体がなければ、死体を調達してまで解剖がしたい。
それぐらい、勉強への渇望が強烈なのだ。
自主性が伴うものならば、それは本当に自分がしたいことであり、面白い勉強なのだ。
そういう勉強ならば、一時的な点数など気にする必要はない。
そもそも、誰かの評価や承認を気にするようなものでもない。

0626

一生懸命努力すれば夢はかなう、なんてことはない
この映画の生徒たちは、医師になりたくてそれに邁進している。
希望と現実を一致させるために、努力をしている。
しかしながら、これは映画であり、フィクションだ。
現実世界で、希望と現実を一致させることは難しい。
それが職業であると、さらにたちが悪い。
職業は、能力以外に縁というファクターも重要である。
そもそも、職業は需要があって成り立つ。
需要がなければ、仕事は発生しないのだ。
仕事とは、どれも穴を埋めるような作業だ。誰かが、どこかの穴を埋めている。
それがたまたま、薬剤師であったり、総理大臣であったり、芸人であったりするだけなのだ。
それが、縁なのんだ。
穴を埋める作業だから、そもそも穴が開いていなければ、埋めることができない。
そこが難しいところだ。縁という穴が開いていなければ、需要は発生しないのだ。
それを知っているくせに、大人は子供に『将来の夢』というかたちで職業選択を迫る。
まるで、努力すれば、必ずなれるようなキレイごとを言う。
世の中、努力だけではどうにもならないことの方が多い。
そして、努力をしてもたかが知れていることは、明白である。
あなたも・わたしも努力をしたが、所詮この程度なのだ。
努力という言葉は、ニコニコしながら近寄ってくるので気をつけたほうがいい。

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制限は芸術を生む-[映画評] フレンジー  

フレンジー (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】フレンジー (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】
(2008/05/15)
ジョン・フィンチ.アレック・マッコーウェン.バリー・フォスター.バーバラ・リー・ハント.アンナ・マッセイ

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ヒッチコックは間違いなく、巨匠である。
その巨匠が巨匠たるゆえんはなんなのか?
それは、こだわりにあったのだ。
こだわりとは、縛りでもある。自分で自分を苦しい状況に追い込む。
マゾヒストでなければ、芸術の域にまで昇華することはできない。
制限の中で芸術は高まるということは、制限をなくし芸術性を失った現代アートを見れば分かる。

映画へのこだわり
ヒッチコックの最後から2番目の作品で、当然スリラーである。
フレンジーとはfrenzyで、熱狂・狂乱・興奮・精神錯乱の意味をもつ。
どの日本語訳もあまりピンとこない。
テムズ河の公害が本当に問題だったのかどうかは知らないが、冒頭で死体が河を流れてくるというのは、ここから始まったのだろう。
いまでは、2時間ドラマの一つのパターンになった。
もちろん、ヒッチコックの映像以上のものはなく、どれも劣化している。
物事は、大衆化する過程で劣化する。
コピーを重ねると、画質がどんどん粗くなるイメージ。
テムズ河で死体を見る人々が死体に気づいてふり向くシーンがある。
一人一人、左から順番にふり向く。
左から順番にふり向くなんてことは、現実にはありえないが、それが音楽と重なってリズムを生み出す。
ヒッチコックの映画にはリズム感がある。
映像で見せる独特なリズム感。
神は細部に宿るものである。

細部へのこだわり
友人のラスクが、実はネクタイ殺人の犯人である。
ラスクは、金もあるし、お洒落なので、女性にもてないということはないだろう。
女性にもてないということで、自暴自棄になってしまうのとは、少し違う。
いわゆる、快楽殺人を描いている。
女性にもてない→自暴自棄という考え方は、友達がいない→ダメなヤツという考え方に似ている。
彼氏・彼女、友達、どちらも居なくても、その人の人間性が否定されるものではないはずなのに、現代の考え方は、ダメなヤツということになる。
特に、友達については歪んでいる。
「不必要な」友達なら、関係を切るぐらいの覚悟は必要である。その人と会っていて不快なら、関係を切ればいい。
友人と血縁は違う。悩まなくていいことに悩んでいる人は多い。
話がそれたが、ラスクは、連続殺人犯なのだ。いわゆる変態さんなのである。
ネクタイで絞殺するという特徴的な殺人スタイル。
きっとなにか快楽を感じるのだろう。
殺すときに女優の顔がアップになるが、これがすごい。絶命の瞬間を映像で捉えるわけだが、綺麗な女優さんたちが、みんな酷い顔で死んでいく。
ヒッチコックは瞳孔を広げるために、目薬までさせたらしい。
ただ、瞳孔が広がっている云々は、目のアップが一瞬なので分からなかったが、細部までこだわるということが大切なのだ。

幸せへのこだわり
人生はとても不幸である。
主人公は、イギリス空軍のエース・パイロットだった。空の英雄だったのだ。
わたしは飛行気乗りが好きである。飛行機は、ジェット機ではなく、プロペラがついていなくてはならない。
ジェット機は飛行機というよりは、ロケットに近い気がする。
かつての英雄が離婚して、落ちぶれて、パブの仕事もクビになり、無実なのに殺人犯にされる。
相当に不幸な人間である。
彼は、まともに生きたいと願うが、どんどん追い詰められていく。
追い詰められた彼は、刑務所を脱走し、真犯人であるラスクを殺しにいく。
まさにスリラーである。
これだけ人生の底に落ちれば、この後にどんなことが起こっても、幸せに感じるだろう。
幸・不幸なんてそんなもので、これは相対的な「幸福」の見方である。
だから、「幸せになりたい」という人は一度不幸になるか、あるいは、さらに幸福になるしかない。
この上昇こそが「幸せ」なのだ。
「幸せ」も長く続けば不幸になる。
そして、さらに幸せを求める。
他人との比較による「幸せ」には、限りがない。
絶対的な幸福を得るには、比較による相対的な「幸せ」をやめなければならない。
絶対的な見方をすれば、今の状態がまさに、「幸せ」なのだ。
今の状態が幸せなら、今の自分に満足できる。
無駄にストレスを感じることがない。
自分のことが好きになる状態が、絶対的な幸福観なのである。

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category: 映画メモ

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tag: ヒッチコック  幸福  殺人  こだわり 
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パソコンが使えない  

今日の行動
座右の諭吉を読了。
パフォーマンス・マネジメントを読了。
HDDの引越しをした。まだ使えません。
腕立て100回。
ウイタクを少し。
録画していたアメトーク、ケロロ軍曹、銀玉をみた。

予定の行動
パソコンのケースを新しくする(今月中)。
不動産投資・株の本を読む(1冊/月)。

category: パソコンメモ

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幻想に縛られる人類‐[映画評] 恋する遺伝子  

恋する遺伝子恋する遺伝子
(2007/03/23)
アシュレー・ジャドヒュー・ジャックマン

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恋愛も必ず醒めるときがある。そもそもが病気のようなものだから、治ってしまうことがあるのだ。結婚というものは、恋愛が醒めたときに簡単に離れないよう作り上げたシステムなのだろう。おそらく、そういった縛りがなければ、簡単に壊れてしまうような、そんな儚いものなのだろう。

恋愛と科学
邦題が素晴らしい。
最近は英語をそのままカタカナで書いて邦題としている映画が多いが、この邦題はすばらしい。
水野晴郎なみにすばらしい。と思ったが、この映画の前に『恋する惑星』って映画があったことを思い出した。
たぶんこれをオマージュしたものだ。
いくらなんでも『Sommeone like you』から恋する遺伝子になるわけがない。
出てきたのも牛であって遺伝子ではない。
そう、この映画では牛がでてくるのだ。
恋愛もので牛というのは、珍しい。
そこでは、今まで聞いたことのない理論が展開される。それが『新しい牝牛理論』である。
新しい牝牛理論‐雄牛は一度セックスした牝牛とはセックスしないという理論。(事実なのかは不明)
牛と人間は違うと言いたいところだけれど、自信がない。
確かに『慣れ』というものはある。慣れてしまえば興奮も持続しないものだ。
「遺伝子」と邦題をしているのもこのあたりからだろう。
科学的な話ではないけれど、理科っぽい話ではある。
映画の中で嗅覚についての言及があり、主人公も彼氏のワイシャツの匂いを嗅ぐシーンも登場する。
恋愛は嗅覚も刺激するのだ。
彼氏・彼女の匂いが好きということがある。
女性の匂いは一般的にいい匂いだが、好きな人の匂いってなぜか特別いい匂いである。
なぜなのか理由がわからない。
好きであること自体理由がないのだから、分かるわけがない。
フェロモンかな?とも思ったけれど、フェロモンには人間がかぎ分けられるほどの匂いはない。
フェロモンで好きになっているけれど、それを個人の匂いと混同している可能性はある。

0621

概念に縛られる必要はない
キャリアウーマンはいつから負け犬になったのか?
昔は仕事をバリバリして偉くなった女性をカッコいい女性としてキャリアウーマンと言った。
今は負け犬と言う。なんとなく惨めである。
女性にとっての勝ち負けが、おそらく結婚なのだろう。
恐ろしく前時代的であるが、意外にもフェミニストたちはおとなしい。
敗北を認めることなど、田島陽子的フェミニストたちの辞書にはないはずなのだが。
結婚について言えば、一妻一夫という概念に縛られる必要はないと思う。
現在の少子化を解決する単純な方法がある。
一妻一夫をやめればいい。多夫多妻にすれば解決する。
夫婦という概念がもっとファジーになるのだ。
たくさん結婚すれば、新しい牝牛理論ではないが、たくさんセックスをする。たくさんセックスをすれば、たくさん子供が生まれる。物事の道理は単純である。
そして、プラトンの『国家』にあったように国が子育てを引き受ければいい。
国にとって人は資源であるから、虐待をして殺すような馬鹿なことはなくなる。
貧富の差による教育の機会の不利もなくなる。縁故もなくなる。いいことずくめである。
ついでに、週休二日もやめればいい。
働きたい人はもっと働けばいいし、働きたくない人は休みを増やせばいい。
別にみんな一緒にする必要はない。
わたしなんかは、別に週休3日にして、給料が減っても全然困らない。
むしろ、今なんでこんなに働かなくてはいけないのか、分からないくらいだ。
そうすれば、雇用も少しは増えるんじゃないだろうか?

0621

おしゃれな生活はありえない
すごい広い倉庫みたいな部屋を区切って生活するのも、オシャレでいいよね。
壁がレンガっぽいと雰囲気がでるなあ。
でもこういうのって、家の中でも靴を脱がないからできることであって、家の中で靴を脱ぐ日本人にはちょっと無理だ。
玄関で靴を脱いでいたら、靴下が真っ黒になってしまう。
また、真っ黒にならないように掃除するのも大変だ。
掃除が大変とか言っているようでは、お洒落な部屋は程遠いのだ。
お洒落と生活感は、同居することができない。
そんなひろい部屋で、恋愛関係でもなんでもない同僚の女性が下着姿で夜中にウロウロしているのも、マッチョでトレンディーでカッコいい。
現実的に、ありえないけどね。

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tag: 恋愛  科学  匂い  ヒュー・ジャックマン  概念  結婚 
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悪いことは割に合わない‐[書評] 「世界征服」は可能か?   岡田 斗司夫  

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)
(2007/06)
岡田 斗司夫

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悪いことをするのは大変だ。社会のシステムとしてそうなっている。
割に合わないようになっているのだ。
社会に反抗することは、莫大なエネルギーと金が必要になる。
世界征服なんてしたら、本当にカッコいい偉人として崇められるべきだ。

世界征服って、もっとカッコいいものじゃなかったの?

世界征服のイメージは、雷鳴とどろく高い城でワイングラスをもって「ワッハッハ」だ。
というわたしは、間違いなく、『王様タイプ』レッドリボン軍総帥タイプ。
油断が多いので、No.2に殺されてしまうパターンです。
よく言えば、無邪気なのだ。
他にも、魔王タイプ、独裁者タイプ、黒幕タイプがあるけれど省略します。
この言葉を読んだときに、ショッカーの戦闘員のでてくるリクルートのCMを思い出した。
ショッカーの戦闘員なんていうのは、仕事としてはやってられない。
いくら賃金が高くても、お金で雇われるということはないと思う。
おそらく彼等は、洗脳されているのだ。
そういえば、最近の仮面ライダーでは戦闘員が出てこない。
ヒーロー戦隊と区別化をはかっているのだろうか?
そのぶん怪人に予算をつぎ込んでいるのだろうか?
変身前のライダーと戦闘員との殺陣が好きだったので残念だ。今のイケメン俳優が殺陣をやってカッコいいのかどうかは観てみないとわからないが、合性は悪いだろう。
殺陣は、宇宙刑事ギャバンの一条寺烈ぐらいの顔の濃さがないとダメだ。
ストロンガーみたいなセリフがあってもいいと思う。仮面ライダーカブトが、だいぶストロンガーを意識しているのではないかと思ったけれど、まだ思い切りが足りないような気がした。
ヒーローがカッコいいためには、『カッコいい悪役』が必要なのだ。

完全に悪役が主導です。悪役が毎回、計画を立ててお話をすすめるのに対して、正義の味方はリアクションするだけ。

悪役の方が魅力的というアニメも多い。
わたしが今見ているアニメだと、『ゴルゴ13』と『ケロロ軍曹』。どちらも、殺し屋と侵略者。
本来、悪役だよね。悪者っぽい方が魅力的ということが、大人になるということなんだ。
例えば、『ルパン三世』。
ルパン三世は泥棒だから、当然普通の善悪だったら、悪である。
ただし、ルパンには義賊的な役割がある(特にカリオストロの城なんかでは)。
悪の悪は善なのだ。数学のマイナス掛けるマイナスみたいなもんだ。
そもそも、善悪は何で決まるのか?
この点は、特撮・アニメでは分かりやすい。
カッコいいほうが善である。ウルトラマンと怪獣が戦っていたら、一見してどっちがヒーローか分かる。
逆に、分からない作品は、失敗作である。
だから、カッコいい悪役が現れたら、「こいつ後々味方になる可能性がありますよ」というサインなのだ。
ドラゴンボールZのべジータ、キンニクマンのロビンマスク、キャプテン翼の日向小次郎。
仲間になるときは、改心しているのか人格的も変っていることが多い。
特に、ラーメンマンなんて最初は本当に酷いやつだった。それが、戦えラーメンマンでは人格者になっていた。驚愕である。
大人の事情ってヤツで、ゆでたまご先生だからそういうウルトラCも許された。
映画版のジャイアンがかっこいいのもそういう理由なのだ。
正義の味方は基本的にリアクションだから、普段は結構遊んでいることが多い。
ヒーローは、まじめではいけないのだ。
必勝を運命づけられているヒーローが、積極的に動いてしまっては番組が続かない。2時間で終わってしまう。
逆にジェームズ・ボンドが積極的なのは、2時間くらいで物語を終わらせるためなのだ。
だから、ヒーローが積極的になれないぶん、悪が積極的にならざるをえない。
悪は、計画を立てて地味に努力するのだ。

悪の首領や組織に必要なのは、まずなにより「ビジョン」です。

本にも書いてあるけれど、このビジョンがない悪役が多い。
世界征服が目的になってしまっていて、世界征服は世界征服後に何かを行う手段であるべきなのに、征服後に何がしたいというものがない。
ショッカーは征服して何がしたかったのか?
デストロンは何がしたかったのか?
最近の特撮では、怪人が人間に危害を加えること自体が目的になっていることが多い。
やりたいからやるとい理論は、子供にも通じないだろう。
悪の集団は脆い。
元々、モラルの低い人たちの集団だから、崩壊しやすいのだ。
ビジョンに共感して忠実に動いてくれる人材は、大切である。
逆に、ヒーロー側の人材なら集めるのは簡単。
いい人材かどうかは別にして、ほっといても集まるし、大っぴらに宣伝することもできる。
なにせ良いことをする集団だから。
『良いこと』に人を集めるのは簡単だ。悪いことは難しい。
だから、現実だったらヒーロー戦隊ものなんて、人数構成が逆なんじゃないかと思う。たぶん戦闘員を使えるのはヒーロー側の方である。
悪はどこまでもつらい。

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映画で作るナショナリズム‐[映画評] ナショナル・トレジャー2  

ナショナル・トレジャー2/リンカーン暗殺者の日記 2-Disc・コレクターズ・エディションナショナル・トレジャー2/リンカーン暗殺者の日記 2-Disc・コレクターズ・エディション
(2008/06/04)
ニコラス・ケイジヘレン・ミレン

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ちょっと前にナショナリズム教育の話がでた、そのときは教育現場から批難ごうごうだった。
日本は戦争の経緯もあって、『国』というものに自虐的である。
一方、アメリカは何もそこまでと言うくらいナショナリズムが高揚している。これはいったいなぜなのか?
わたしは、映画による刷り込みにあると思う。

アメリカ人のナショナリズム
この映画には、大して重要じゃない役だけど、大統領がでてくる。
もちろん映画の大統領だから、ダンディでカッコイイ。
アメリカ人のナショナリズムは、映画で形作られていると、わたしは信じている。
だから、アメリカ人のナショナリズムは少し異常だ。日本人のわたしから見ると『異常』に感じる。
グローバル・スタンダードはアメリカ基準だから、どっちがより標準的なのか自信がない。
とにかくアメリカ人のナショナリズムは、日本人のそれとは違う。
まず、アメリカ人は国旗が大好きだ。
確かに日本の日の丸よりも、アメリカの星条旗の方がカッコいい。
日の丸は少しデザインコンセプトが見えにくく、分かりづらい。
丸が円満、赤が愛国心、白が美しい心。抽象的である。
対照的に星条旗は分かり易い。
星は州の数を、ボーダーは独立当時の入植地の数を表している。具体的である。
「分かりやすさ」は重要なことで、誰にでも浸透させたいなら、誰にでもわかるようにしなくてはならない。
そもそもアメリカは移民の国だから、民族をよりどころにしている我々とは違って、多民族に共通のナショナリズムを浸透するためには、『教育』が重要になってくる。
教育するためには、分かりやすい方がいいに決まっている。

国旗・国歌の刷り込み
ハリウッド映画は、けっこうアメリカ万歳的な映画が多い。こういうのを観て実際アメリカ人がナショナリズムを刺激されて鼻息を荒くしているのかどうかは知らないが、国旗の掲揚シーンなんかが多いのは事実である。
これを日本にして考えてみてください。
例えば、海猿の映画版。
感動的シーンで盛り上がっているところに、日本の国旗がひらひらしてても、多くの日本人は、「?」ってなるだけ。ちょっと首をかしげるだけでしょう。。
国旗がひらひらしていて盛り上がれるという感情は、戦後世代にはない。
別に日本に生まれてよかったと思うけれど、ナショナリズムというほどの概念がない。
だから、卒業式で君が代がどうとか言っている教師のニュースをみても、アホじゃねーのとしか思わない。
きっと何か信念があるんだろうけれど、過剰反応しすぎだろうとしか思えない。
確かに、ワールドカップで国歌が流れて、カズさんが胸に手を当てているシーンには、すごく感動した。
でもあれは、ナショナリズムで感動したわけではなくて、カズさんに感動したわけで、カズさんのカリスマ性にしびれたんだよね。
でも、人間って学習する生き物だから、映画の感動シーンに国旗・国歌が毎回使用してあれば、梅干を観たときに唾液が出るみたいに、国旗・国歌を見ただけで感動するようになる。
何度も刷り込むことが大切。
そう考えると、オリンピックの表彰式で国旗と国歌を使う意味も分かる。

大統領はカッコよくなきゃ
大統領選挙の予備選であれだけ盛り上がれるアメリカ人ってスゲーなあと、感心してしまう。
ただ単に、大統領選に出る人を選ぶ選挙。まだあれで前段階である。
もちろん、盛り上がるのが上手い国民性というのもあるけれど、教育の賜物だ。
日本政府はもっと上手く、国民を操る必要がある。
例えば、ハリウッド映画に出てくる大統領はカッコイイ。これもイメージ戦略だ。
「エアーフォース・ワン」に出てくる大統領はハリソン・フォードでテロリストと戦うし、「インデペンデンス・デイ」に出てくる大統領なんて戦闘機で宇宙人と戦っちゃうからね。
日本の総理大臣では考えられない。危機におろおろするというイメージしかない。
とにかく、日本の総理大臣は結構なお歳だから、宇宙人と戦うことは無理だし、たぶんそういう危機的状況でも、知らずにゴルフをやっているか、知って逃げるかである。
国の危機に対して立ち向かうというイメージはない。
絵になる総理大臣なんて、日本にはいない。
ないないと嘆いていてはダメだ。ないなら作ればいい。
国家プロジェクトとして、黒澤明監督にかっこいい総理大臣の映画を作ってもらうべきだった。
今、キムタクが総理大臣をやっている。あのドラマは見ていないのでわからないが、いいものだったら、映画化して毎年正月に放送すればいい。
カッコいい総理大臣を登場させる映画・ドラマには助成金を出せばいい。逆はやったらダメだけど、これくらいなら許されると思うのですが、いかがでしょう?
地道な努力が大切です。

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映画には理由がある‐[映画評] 28日後...  

28日後... 特別編28日後... 特別編
(2004/03/05)
キリアン・マーフィ

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交通事故による昏睡から目覚めたジムは、病院はおろか街全体から人が消えたロンドンをさまよう。28日間で広まったウイルスによって感染者は凶暴化し、非感染者たちはロンドンから脱出していたのだ。ジムは、感染者の攻撃をかいくぐりながら、わずかに残された非感染者とともに安全な場所を目指す。


制作費が安い
昔のゾンビ映画もそうだったけれど、映画製作にお金をかけなくてもいいジャンルというのがある。
ゾンビ映画なんてその代表格だから、ゾンビ映画を現代風のバイオテクノロジーと混ぜるとこうなる。
同じジャンルで大コケした『アイ・アム・レジェンド』よりは、こっちの方が明らかに利益率は高いと思う。
役者も有名どころはいないし、風景の描写は綺麗だけれどどれも自然な美しさで、金をかけたVFXやCGではない。市街地の撮影もおそらく早朝に撮影していると思う。
映像に早朝の白んだ感じが出ている。
要は、その早朝の撮影も理由があればいいわけで、この映画の場合は「感染者の襲われる危険性があるから、暗い夜よりは、見通しのきく朝」という理由がある。
制限の中でも、考えることが重要だ。

0617

感染経路はダイレクト
こういうゾンビ映画でのポイントは感染力である。
空気感染であることは少ない。空気感染では登場人物が右往左往する必要性がないからだ。
もとより諦めるしかない。
この映画の場合血液である。
実際の病気で血液を媒介とするものは、AIDs、B型・C型肝炎などが有名どころだろう。
感染力は弱いが、重篤というのが特徴。
こんな病気の感染力が強かったら、宿主となる生物が絶滅してしまう。
それは、ウイルスとしても避けたいところだろう。
この映画では、血液を体内に入れたら感染するという設定だが、血しぶき程度では感染しない。
だから、直接的な噛み付くという行動になる。
まあ、こっちのほうが動きがあるので、絵になりやすい。
伝統的な手法である。

0617

ゾンビの存在で仲間が強調される
こういう映画で必ず登場するシーンがある。
仲間の感染である。
情が移っている分、感染に対する対処が遅れてしまう。
もっと複雑なものでは、本当の仲間とそうでない場合がある。
そうでない場合、裏切りと狂気がおこる。
もともと極限状態にあった精神が崩壊してしまう。
こういうとき、悲観的になった者が死ぬと決まっている。
映画では、希望こそが生き残る原動力なのだ。
また多くの場合、女性は生き残る確立が高い。
そこにも理由がある。
女性は出産という形で未来を暗示しているからである。未来を希望的なイメージで締めくくるためには、女性の生存者の存在は不可欠である。

映画には理由がある
映画は、制限の中で製作される。制限は決して創造性を邪魔するものではない。
それは、制限をなくしてしまった現代芸術の創造性のなさを見れば明らかである。
素人目に見ても、制限のあった昔の芸術のほうが、現代アートよりも芸術性が高い。人の感情にうったえるものがある。
そういう意味で、上映時間の制限のある映画に『意味』をこめるには、たくさんの無駄を省かなくてはならない。
無駄なセリフ・無駄なシーンはカットし、意味の伝わる最小の構成を考え形にしていく。
一見意味のないシーンでも、必ず意図がある。「伝えたい何か」がある。
逆に「伝えたい何かの」ないものは、駄作である。

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映画はイメージの塊‐[映画評] スペシャリスト  

スペシャリストスペシャリスト
(2008/04/11)
シルベスタ・スタローン

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シルヴェスター・スタローン&シャロン・ストーン共演によるアクション映画。かつてCIAの爆破工作員であったレイ・クックは、今はフロリダでフリーの爆破作業請負人として孤独な日々を送っていた。そんなある日、レイはメイ・マンローという女性から復讐のために3人の人間を爆破で殺してほしいという仕事の依頼を受ける。自分は殺し屋ではないと一度は依頼を断ったレイだったが、彼女の熱意と魅力的な声に惹かれ、調査を開始するが……。


0615

寂しい爆弾野郎、シルベスタ・スタローン
元CIA爆破のスペシャリスト。過去に子供を殺したことを苦に引退してしまう。
センチメンタルで、キレやすい。爆弾を扱う職業として明らかに適正を欠いている。
スタローンの寂しい目には、センチメンタルがよく似合う。
さびしい人は、犬ではなく猫を飼うものである。
そして、寂しい男は、当然ながらラヴ・シーンが下手だ。当然である、寂しい男は孤独なものだ。

ノーブラ・Tバックの悪女、シャロン・ストーン
過去に両親をマフィアに殺された復讐に燃える女性。
わたしのイメージでは、復讐に燃える女性というのは、黒髪のラテン系というイメージだが、当然シャロンストーンは、金髪である。
そして、復讐のためにマフィアの女になる。
こういう悪い女は、ノーブラでTバックである。これはもう映像になる前から分かっていた。
スポーツブラで、でかい綿パンだったら、監督の趣味を疑う。シャロン・ストーンがそれだったら、ある意味興奮するだろうけれど。

0615

よくしゃべる敵役
敵役はジェームズ・ウッズ。たぶん、名前を書いても分からないと思う。有名なところだと「ヴァンパイア 最後の聖戦」を主演していた人。
上官というのは、映画では『酷い』と決まっている。まあ、最後に和解していいやつになるパターンもあるけれど。
ウッズ演じる上官もこの法則に則って酷い。
元CIAでスタローンの上官。爆破のスペシャリストである。
CIAから下ってマフィアのアドバイザー的なポジションにいる。

基本的にシャロン・ストーンは悪女だから、あっちに行ったり・こっちに行ったりする。
コウモリ的な女性である。
2重スパイというヤツです。
わたしは、あんまりこの2重スパイというのが、うまく頭の中で消化できない。いつもそうなのだ。
本来の目的が曖昧になるせいだろうと思う。
結局、目的のために利用されるのは、馬鹿でマッチョでダイナマイト的な男なのである。

この映画は、なんといっても爆破の「スペシャリスト」だから、爆破シーンが多い。
中でも秀逸だったのが、車の爆破。
マフィア映画でよくあるエンジンをかけてドッカーンってやつの、進化系がある。

マフィアの一人が、駐車場に行く。
すでに相手が爆破のプロだということは分かっているから、エンジンをかける前に車の下を確認する。案の定わかりやすい『爆弾』が出てくる。もうこれでもかってぐらい、こてこてのヤツ。
このマフィアはこれをわりと簡単に取り外し、駐車場のボーイにエンジンをかけさせるという周到さを発揮する。
しかしながら…、最後にはドッカーン。
というのがこの映画で1番ワクワクするところです。
もちろん、シャロン・ストーンのヌードとかTバックとかも見所ではある。

映画はイメージの塊である
この映画を観て、映画というのはイメージの集合体であるとつくづく思った。
前述の爆破シーンでハラハラするには、『車爆弾』の教養がないと成立しないハラハラ感である。
そういう意味では、マフィアの車は黒塗りのベンツでなくてはいけないし、殺し屋は無口でなければいけないし、殺されるほうはよくしゃべらなくてはいけないし、悪女はノーブラ・Tバックでなくてはいけない。
そして、爆弾は爆発しなくてはいけないのだ。
こういったイメージの積み重ねに神は宿るものなのである。

最近のハリウッド映画でも爆破は減少傾向にある。
日本映画なんて、もっと少ない。映画で少ないんだから、特撮なんてほとんど皆無。
爆破には、強制的なわかりやすさがあった。
科学戦隊ダイナマンが懐かしい…。

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[書評] どきどきフェノメノン   森 博嗣  

どきどきフェノメノン    A phenomenon among students (角川文庫 (も20-1))どきどきフェノメノン A phenomenon among students (角川文庫 (も20-1))
(2008/04/25)
森 博嗣

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「そのあと、必ずやってくる少々嫌な思いを経て、そして、その後の安定した無秩序へと還っていくのです。これは、すなわちエントロピィを増大させる自然の秩序への反抗ではないでしょうか?」


世間では、森氏は理系の作家として認識されている。
理系・文系の違いがあるとするなら、どこなのか?
書いていることは、他の作家さんと変わりない。他愛のない複雑系のラヴストーリィだった。
話の展開としては、野島伸司脚本の「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」に近い。
タッキー、窪塚、フカキョン、内山理名という布陣のあれである。

こういう小説を読むと、いつも「ねじれの位置」を思い出す。

ねじれの位置(ねじれのいち)とは、空間内の2本の直線が平行でなく、かつ、交わっていないとき、つまり同一平面に乗れないときの、2直線の位置関係のことである。これは、例えば立体交差に見られる。


恋愛ものは、典型的に二つのパターンに分けられる。

ひとつは、ロミオとジュリエット・パターン
恋愛は障害が大きいほど燃えるという、あれである。
あれというのも、あれですが…。

そして残りをグワっとまとめて、複雑系パターン
とにかく、恋愛対象が決まっていないモヤモヤしているやつ。

パターンを一般化するあたりが理系なのだろうか?
じゃあ、文系はその逆で細分化するのだろうか?
まあ、場所が研究室・工場とかなら、理系というくくりになるんだろうね、小説の場合。


小説としては、直球のラブ・ストーりィですね。
あんまりに甘くて、胸焼けするんじゃないかと思うくらいです。
ミステリィのふりをした恋愛ものでも、恋愛もののふりをしたミステリィでもありません。
好きな人は、好きなんじゃないのというぐらいの作品。
正直、自分の担当教授がこんなの書いてたら、ちょっと、キモイね…。


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[書評] 昔話にはウラがある   ひろ さちや  

昔話にはウラがある (新潮文庫)昔話にはウラがある (新潮文庫)
(2000/05)
ひろ さちや

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グリム童話の大人的解釈の本は、多いけれど、日本の童話の大人的解釈の本は少ない。
もちろん、ひろさちや氏的解釈なので、けっこういい加減です。
完全な下ネタで、「飲み屋でやってろ!」と言いたくなる様なところも多いです。
個人的には桃太郎の解釈が好きだけれど、人に言うことはないね。
下ネタだから、ドン引きされるんじゃないかな…。


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[書評] のぼうの城   和田 竜  

のぼうの城のぼうの城
(2007/11/28)
和田 竜

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確かに面白い!
1人の「でくの坊」が、3人の猛将を従えて、20000を相手に戦をするのだから、ワクワクせずにはいられない。

正直、前半部分は、あまりのだるさにかって損したかと思った。
だけど途中から、とまらなくなった。
久々に、徹夜して読んだ。

なぜ「のぼうの城」がおもしろいのか?
理由は、3つある。
1 キャラクタが濃い
2 大逆転の期待
3 史実という現実感

キャラクタが濃い
なんつったって、戦国時代だから、キャラクタが濃いのは当たり前。
この時代は、豊臣秀吉、石田三成、徳川家康…、いたるところに逸話のある名称・知将がわんさかいた時代だから、キャラクタ小説に合っている。
江戸時代と違って、まだひねくれた武士道じゃなく、下克上の時代。一番日本がイケイケの時代だったとも言える。
だから、みんな生き生きしている。江戸時代の縛られた感じは受けない。

大逆転の期待
相手は、誰でも知っている石田三成。秀吉のバック・アップもあって兵は2万人、対する成田長親は、百姓の女・子供を含めての2千人。勝てるわけがない。
この絶体絶命の状況をどう打開するのか?
逆転の美学がある。

史実という現実感
石田三成が忍城を攻めたことは、史実である。
そしてこの戦の失敗から、三成は戦下手として後世に名を残すことになった。
なんせ、本城を残して落とせなかった城は、ここだけだったから。
失敗が何百年も残ってしまうというのは、三成にとってはかわいそうなことだが、その記録が我々の想像力をかきたてる。
登場する武将も記録に残っている。
丹波も和泉も靭負も記録がある。それがなんとも清々しい。


のぼうの城、ぜひ歴史小説を読んだことのない人に読んでほしい。


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[映画評] アイ・アム・レジェンド  

アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)
(2008/04/24)
ウィル・スミスアリーシー・ブラガ

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アイ・アム・レジェンドにみる、あなたが伝説になる条件

伝説になるには、わたしが考えるに3つ条件がある。
1 偉大な功績がある
2 顔が悪くない
3 若くして死ぬ

この3つである。簡単なようだが、3つめの条件があるので達成できている人は、もうこの世にはいない。
それぞれ少し掘り下げてみよう。

偉大な功績がある
偉大な功績というのは、別に正しいことである必要はない。
いいことにこした事はないけれど、悪いことでも伝説にはなる。
偉大な功績とは、常軌を逸した行動とも紙一重である。

顔が悪くない
大衆が認めるんだから、ブサイクではだダメだ。
ブサイクでは、決定的に『絵』にならない。
チェ・ゲバラがブサイクだったっら、タトゥーに入れたり、Tシャツにしたりできないでしょう。
人は見た目が9割という本もあったけれど、実際はそれ以上だと思う。

若くして死ぬ
これが一番大切です。
レジェンドも老化には勝てません。
なぜ松田勇作がかっこいいのか? なぜアイルトン・セナが伝説なのか?
それは老いていないからです。伝説は老化してはいけないのです。
老いはそれだけでマイナス・イメージを植えつけますから、レジェンドになるには、さっさと死ぬ必要があります。

伝説になるには、死ななければならないというのは、逆説的だよね。


ここまで、映画に関係のない話を展開してきましたが、映画はB~C級のクソ映画です。
何かを発見しようと、積極的に観賞しなくてはなりません。


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[書評] 深追い   横山秀夫  

深追い (新潮文庫 よ 28-1)深追い (新潮文庫 よ 28-1)
(2007/04)
横山 秀夫

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横山秀夫氏お得意の警察ものである。
ショートストーリーが7つで構成されている。
どれも、少し警察官の仕事としては、「深追い」な話ばかり。
仕事以上のプラスアルファをすることによって、物語が転がる。

警察ものの緊張感ある物語は、文体とよくマッチしているように感じる。
主人公のはなつ、汚い言葉も特徴的。

また、警察という組織が、ドラマになる刑事だけで成り立っているわけでないこともよく分かる。
強烈な縦社会も物語にスパイスを加えているのは、明らかである。


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[書評] どの宗教が役に立つか   ひろ さちや  

どの宗教が役に立つか (新潮選書)どの宗教が役に立つか (新潮選書)
(1990/03)
ひろ さちや

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結論から言えば、どの宗教が役に立つのかは、人それぞれだろう。
仏教・キリスト教・イスラム教、どの宗教でも『救い』は与えてくれる。

どんなタイプの宗教だろうと、新興宗教はインチキである。
インチキを見極めるポイントは、金と恐怖心だ。
恐怖心をあおり、その恐怖心を金と交換する。
元々なかった恐怖心をわざわざ作ってしまうのだから、たちが悪い。

当然のことだけれど、どの宗教の神様も金なんかに興味はない。
だから、お賽銭やお布施の金額は関係ない。
信じている人しか救わないという心の狭い神様もいない。

仏教的な考え方では、他人との自分を比べることを「慢」と言う。
自分と他人を比較すること自体間違いなのだ。
現代人の悩み・ストレスはこの比較から生じているのではないかと思う。
完全な人間はいない。
比較は愚かなことである。
自己を自己として認め、どうして現状に満足できないのだろうか?



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