[読書メモ] 1ポンドの悲しみ 石田衣良
小説に出てくる恋愛は、スタイリッシュで愛情にあふれていて、後腐れがない。
けれど現実は、もっと粘着質だと思う。
女性が粘着質だという話ではなくて、自分の思考の動きが鈍くて、粘性をもっているということです。
感情的チキソトロピーってヤツかな。
名前というのも暗示の一種か。名前には魔法の呪文のような力があって、呼び名のとおりの性格に人を深いところから変えてしまう。(P91)
歌舞伎役者の息子が歌舞伎役者になったり、国会議員の息子が国会議員になったりというのは、名前に縛られている例だと思う。
自分というよりは、周囲がそう見ているから、その周囲の評価によって自己を定義づけるので、暗示のような効果があるのかもしれない。
天皇や王族になると、暗示というよりは、規則だけどね。
野村萬斎が出ていた安倍晴明の映画でも同じ様なことを言っていた。
実際、その通りだと思う。愛なんてセックスを包んでいるただの包装紙だと、橋爪慶司は思っていた。(P143)
恋愛の結果は、誰がなんと言おうと、セックスだ。
セックスにたどり着かない恋愛を『純愛』と呼ぶ以上、そうなる。
純愛の抑圧感は、セックスがないからなのだ。セックスが入ると『純』じゃなくなるというのも変な話だけどね。
とかくセックスが関わってくると、金がかかる。
リスクとベネフィット。別に結婚などする必要はないと思っていた。誰かひとりの女と暮らし、同じ相手とずっとセックスし、経済的なお荷物まで抱えこむなんて、とんでもない愚行である。(P144)
すべての行動はコレで説明できるはずだけれど、恋愛に関しては難しい。
例えば、結婚の目的はおそらく「子育て」にあるのだろう。
子育ては長期間のつながりが必要になるため、制度で縛る必要がある。
しかし、子育ては約20年ほどの期間が必要で、この負担は金銭的にも時間的にも非常に重い。
普通なら絶対に避けるようなリスクである。
コレを文化的・社会的に「幸せなことですよ」と刷り込むことによって、かろうじて成り立ってはいるが、崩れやすいのも事実であろう。
本当に、結婚や子育てが幸せなことなんだろうか?
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