[読書メモ] 侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な 芥川竜之介
伊坂幸太郎の「チルドレン」に影響されて。
「侏儒の言葉」のほうは面白い。
短い文章が多いので、読みやすい。
「文芸的な、余りに文芸的な」のほうは、その時代の知識がないので、よく分からない。
わかんないから、面白くない。
善悪というのは単なる後付だろう。わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪である。(P13)
善と悪なんてものは視点の問題であって、アニメや特撮じゃないんだから、絶対正義や絶対悪なんてものがあるはずもない。
だから私は、善悪を判断の基準にすることもない。あくまで判断の基準は好き嫌いである。
むやみやたらと、正義だ悪だと言う奴は、正直、嫌いだ。
まあ、自分に味方するものが『正義』で、敵対するものが『悪』という論理もわからないでもないが。
私の上げ下げと同じだ。人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならない。(P43)
上げ下げというのは、もちろん上げマン・下げマンのことである。
日常の些末なことに幸せを感じられるような女性は上げマンです。
逆が下げマンです。
具体例をあげれば、「アイスはハーゲンダッツしか食べない」とか言い出すバカは、下げマンです。
チョコモナカジャンボで満足できる人はあげマンです。
要は、『少欲』ということかな。
阿呆にならないようにしよう。阿呆はいつも彼以外の人々を悉く阿呆と考えている。(P100)
世界を認識しているのは、他ならぬ自分自身の脳である。
すなわち、あなたが見ている世界は、網膜を通して、電気信号に変わり、脳で再び映像として3次元に構築されている。
認識は必ず自己の脳で作られる。
世界をアホだと思ってしまっているようでは、自分の脳のアホさに気づくこともできないだろう。
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