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111227 読書メモ 「とほほのほ」 中島らも  

 
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だいたいが我々の日常をとりまく情報というものは雑誌にしろCFにしろ、現実のありようから数十センチ上のほうのA級の世界を描いている。

そこには愛や希望や健康があふれかえっていて、我々にそれなしで生きていくのが異常なことのような錯覚を懸命に与えようとする。

大半の人はそれを真に受けて自分を不幸だと信じ込んだり、愛のない夫婦生活に罪の意識を抱いたりしてしまう。

不幸にならない秘訣が「幸せを知らないこと」だとすれば、マスコミはたいへん罪つくりな不幸製造産業であるといってよい。

P25



希望こそがパンドラの箱に残った災厄だったというのは、真理かもしれない。


不幸というものは虎か熊のようにそこに存在していて襲ってくるものではなく、人が「不幸」という名を与えるまでは存在しないものである。

P114



その言語がなければ思考できないのと一緒。

偽りの幸福を撒き散らすから、不幸が生まれるのだ。

本来、幸福に決まった型などあるはずがなく、多様であるはずなのに、ステレオタイプの幸福をメディアは今でも垂れ流して消費を煽っている。


いろいろと動物を飼ってみるとわかるが、やはり頭の悪い奴はだめである。

可愛くない。

P160



可愛い・可愛くないの判断の基準として、感情移入ができるか・できないかというものがあり、ようはこちらの意図を理解してくれるか・してくれないかということ。


近代以前の共同体では、村に必ず一人や二人はいる馬鹿を排除することなく、共同体の一員として食べさせていた。

この場合、馬鹿は人々に「馬鹿にされる」という重大な役目をになっていた。

共同体全体のストレスの解消を担当する安全弁の役目である。

P179



こういう集団のストレスのはけ口というものは古今東西かならずある。

いじめというのもストレスのはけ口である。


「笑い」と「恐怖」の生起する構造というのは全く同じものである。

視線が「笑い手」と「笑われる人」のどちら側から発せられるかによって、その構造が「笑い」になったり「恐怖」になったりする。

P179



社会が「笑い」を求めるのは人よりも上に立ちたいという欲求が生物としてあるからなのだろう。

笑いは基本的に相手を見下したことによって、発生する感情だからだ。


金に対する欲望が薄いのは、自分が「ものを創るタイプ」の人間だからなのではないか。

P186



そもそも、創る側の人間にとって欲しいものは金で買えないことがわかっているから、自分で作っているのだろう。

だから自給自足しているわけで、金なんかに興味はないわけだ。

所ジョージは実際こういうタイプなんだと思う。たまたま金持ちなだけで。


自給自足型の人間にとって、人の真似、コピーをすることは非常に苦痛なのだが、ほんとうは模倣の蓄積を築かない限り、人さまに見せられるような独創物はできないのだ。

このあたりが自給自足型人間のひとつの「壁」なのである。

P191



そのために自給自足型の人間は壁にぶつかるのか。






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