パパの育児日記 ホーム » 読書メモ »130224 『イラハイ』は人生訓を物語風に語っている!

130224 『イラハイ』は人生訓を物語風に語っている!  


イラハイ (新潮文庫)

 
伊坂幸太郎さんがエッセイで絶賛していたから読んでみました。

文体は固く、ストーリーはジョークのよう。悪ふざけと言えばそれまでですが、文章全体からニヤニヤするようなユーモアを感じます。

時折、深い人生訓のようなものが出てきますが、それほど深く感じとるようなことはなく、軽く流して後からにじみ出てくるようなぐらいでちょうどいいように感じます。

読書力のない方は途中で挫折するでしょう。読者に挑戦状を叩きつけて、読者の出方を伺っているような本です。

読解力とユーモアのセンスを試されているように感じます

ただ正直、私はそれほど面白いともすごいとも感じませんでしが……。




戦場は今やほとんど無人の野となり果て、すでに停滞的であった戦況は新しい機械の導入によって文字どおり停滞して、日々の戦闘行為は単なる定型業務の連続となった。この有様を好意によって見る者は、この状況を人間性の復活であると考えた。機械が苦痛に満ちた労役から兵士を解放し、余暇をもたらしたからである。この有様を悪意によって見る者は、この状況を人間性の喪失であると考えた。事の成り行きが人間の手を離れて機械に委ねられていると考えたからである。P86


少し現代の戦争事情を考えてしまうような文章です。

機械が戦争をしてくれるというのが、現代の戦争でしょう。偵察機は無人だし、遠く離れた場所からミサイルを打ち込むだけです。

それによって、人間は人間らしい生活をおくれるようになったとは思いませんが、戦争を自分たちで決着するのが人間性だとも思いません。

戦争が善悪で語られるのは、間違っていると思います。争いはお互いに善だと思っていることが前提で始まるもので、終わってから、勝者が善になり、敗者が悪になるだけです


愚かしさとはひとつの心の内にある天秤の、ふたつある皿のうちの一方に置かれているものであり、もう一方の皿には分別が載っていて、両者の重量が拮抗するということは滅多になく、まずたいての場合は愚かしさの方が重みに勝ってその皿を沈め、逆に分別は愚かしさの同じ重みによって高処へと引き上げられる。つまり分別は愚かしさの上にあり、愚かしさは分別の下にある。P146


愚かしさが、大抵の場合において勝るというのが、悲観的なようにも感じますが、現実としてその通りだと思います。

私は、「愚かしさ=悪いこと」というふうにも思っていません。ラクを望んだり、身勝手な感情が文明を発展させるエンジンだと思います。

ひとの住む国であればそこには少なくともそこに住むひとの数だけの思惑があり、多くの場合、思惑は原因となり、原因は常に結果を生み出す。思惑にはそれを指して賢明と呼べるものの数は少なく、好ましいと言えるような結果の数はなお少ない。そして結果は結果として知るものであって分別によってしるものではないく、後になって分別の乏しさを知らされた者は結果として経過を誇るようになる。P257


人生が良かったものか悪かったものか、決めるのは自分です。

人の評価なんて気にする必要はないし、もし人の評価で判断しているのなら、それはもうすでに自分の人生ではないと思います。

結局のところ自己評価なら、自己満足でいいんです

自分で満足できるものが、過程ならそれでいいし、結果ならそれでもいいと思います。

満足できないというのが一番無駄な人生の使い方でしょうか。

関連記事

category: 読書メモ

thread: 読んだ本

janre: 本・雑誌

tag: イラハイ  佐藤哲也  伊坂幸太郎   
tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tieno.blog79.fc2.com/tb.php/1551-6b8b6f3b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

読書中

RSSフィード

メールフォーム

フリーエリア

最近の記事

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ全記事表示

ベストセラー

買って良かったもの

最近のお気に入り

読了本

▲ Pagetop