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140224 読書メモ 『ラッセンとはなんだったのか』 ラッセンは日本の恥部なのか?  

 


癒しの「マリン・アーティスト」なのか?究極の「アウトサイダー」なのか?初のクリスチャン・ラッセン論。



 ラッセンという者がナニモノであるか、日本ではかなり名の売れた芸術家のように通っているが、世界的にはほぼ無名に近い。むしろサーファーとしてのほうが名が通っているようだ。

 芸術をやっている人たちからすると、美術ではなくイラストらしい。
イラストが芸術に入るのか・入らないかと問われれば、彼らは間違いなく入らないと答えるだろう。

 日本でも、ラッセンの版画を家に飾っている人など今時はいないだろう。ラッセンのマリンアートは消費され尽くし、一部ではクレジットカード詐欺とさえ結びついてしまった。

まさに、日本人にとっての恥部とも言える。


 ラッセンの『マリン・アート』は分かりやすく、官能的な色彩でわざとらしく細部を描いた、奥行のないアートである。同じモチーフをというか、まったく同じ絵をスタンプのように切り貼りしてPhotoshopで作り上げているようだ。

誰にでも「なんだかスゴそう」と思わせることのできる絵であるが、その宗教性もない分かりやすさが、かえって美術をかじったものからすれば、ダサいのであろう。

 ラッセンのマリン・アートは、ヤンキー的なものとしてこの本では書かれている。
そのヤンキー的なダサさというのは、音楽で言えば、矢沢、BOOWY、浜崎あゆみ、DJ OZMAへと結びつく日本の郊外的なダサさである。
分かりやすく感情をキメてくれる音楽。
そういった芸術たちは、巨大ショッピングモールで消費されるべきものでもあるし、東京に現れた郊外のシンボル的な六本木ヒルズ的なものでもある。

 日本のメインカルチャーは、郊外的なものと強く結びついている。郊外に住む人のほうが、都市に住むひとよりも多いのだから当たり前だ。
日本の文化とは郊外的なダサさこそがメインなのだということを改めて認識することができた。

 私も、恥ずかしさを内包して、ありもしない博報堂たち広告メディアやアールビバン社の創りだすイメージだけのアーバンライフを想像し、日和見的に理想を追い求めているだけの郊外的なな田舎者なのだろう。確かに郊外に住んでいるのだし……。

 ラッセンが、ウォーホルや岡本太郎のように再評価されるのか、ヒロヤマガタのように時代に飽きられてしまうのかは分からない。


 読み物としてはかなり面白いが、結局のところ売れない・理解されない『ハイアート』をやっている人たちの「ラッセンは売れたけれど、あれはアートじゃない」というやや僻みや妬みもはいったラッセン論だったような気がする。

「売れれば良いものなのか?」という芸術家のかかえる問題は、芸術の定義自体(芸術とはエッジの最先端であるから、無知な大衆に追いつかれたら終わりというその定義)にあるのだから、売れればいいか、売れないハイアートでいいかは、結局のところ創作した芸術家にしか判断できない。
アーティストなのかビジネスマンなのかという問である。

ラッセンの『インテリアアート』が良いのか悪いのかというのは、結局のところラッセン自身の問題であり、他人が、とくに売れていない芸術家が、とやかく言うことは、飲み屋で会社の愚痴や政治批判をしているオッサンと同じである。
コロコロやボンボンをバカにしてジャンプやマガジンを読んでいる中学生みたいなものである。
そういった愚痴を本にしてしまうのだから、節操が無いし、「俺たちはハイアートをやっているからカッコいい」と勘違いをしているのだろう。

陽気な作品に不本意な事情 画家のヒロ・ヤマガタ

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