FC2ブログ
パパの育児日記 ホーム » 日記的メモ »180930 他人を応援することに時間とお金を使うべきか否か 結局は楽しんだもの勝ち?

180930 他人を応援することに時間とお金を使うべきか否か 結局は楽しんだもの勝ち?  

ディズニーランドは楽しい。
そこには競争がなく、みんなが夢を見ているからだろう。
「Happinessはここにあるよ!」とミッキーマウスも実際に言っている。
もちろんオリエンタルランドにとってのHappinessであって、客にとってのHappinessではない。
所詮、商売とはそういうもの。

なるべく安い賃金で労働者を雇い、商品の価値よりも高いお金と交換する。
ディズニーランドでは、ありとあらゆるものがこの夢の国から一歩出たところよりも、高い値段で売られている。

芸能人を追いかけているファン、スポーツを応援しているファンも同じで、他人を応援することにお金をつぎ込んでいる。
『応援』は大抵の場合、お金という形で行われる。
他人を応援しても、結局は何も残らないことが多い。
自分自身は何も成長しない。

利他的な行動ができるというのがホモサピエンスの進化の証であり、繁栄した理由であるのかもしれないが、私としては利己をベースとした利他である方が理解しやすい。
利他のみというのは考えにくい。利他のみの行動など本当にあるのだろうか?
マザー・テレサやマハトマ・ガンジーの行いは本当に利他的だったのか、利他的であり同時に利己的なことだったのかもしれない。
ボランティアにはハマる人というのは、自己にも快感があるからハマるのだろう。
利他と利己を分けることは難しく、0か100かという話ではない。
他人も満たされ、自分も満たされるのであれば、それは最高ではないか。

成長のないお金や時間の使い方というのは、意味がないとは言わないが、有効的な手段ではないと思っている。
一時的なストレスの発散としての散財という自覚があるのならまだいい。
自覚のないお金と時間の消費は、人生と健康を害する可能性がある。

ゲームというのが世間から嫌われるのはそこだろう。
時間とお金を費やしてはいるが、成長という観点でみるとゲームがうまくなった以上の恩恵はあまりない。
ドラクエやスーパーマリオがいくら上手くなったところで、実社会的に役に立つことはあまりないだろう。
ネトゲの上位者が人生の下位者であるというのは、よく聞く話だ。

しかし、そうやって人生において無駄ということを排除していく、効率を重視していくと、人生に味気なさしかないのではないかという危機感もよぎる。
人生の時間は有限だが、なくなってしまえば骨になるだけで、何も残らない。
何も残らない人生で効率を重視して生きてなんになるのか、楽しみのない人生に意味があるのか。
私の思考はフラフラとさまよう。

そして結論は、人生は中庸で、このままでいいのではないかというところに落ち着く。
関連記事

category: 日記的メモ

thread: 日々のつれづれ

janre: 日記

tag: 人生  思考  生活 
tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tieno.blog79.fc2.com/tb.php/2111-a5a85f01
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

読書中

RSSフィード

メールフォーム

フリーエリア

最近の記事

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ全記事表示

ベストセラー

買って良かったもの

最近のお気に入り

読了本

▲ Pagetop