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映画には理由がある‐[映画評] 28日後...  

28日後... 特別編28日後... 特別編
(2004/03/05)
キリアン・マーフィ

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交通事故による昏睡から目覚めたジムは、病院はおろか街全体から人が消えたロンドンをさまよう。28日間で広まったウイルスによって感染者は凶暴化し、非感染者たちはロンドンから脱出していたのだ。ジムは、感染者の攻撃をかいくぐりながら、わずかに残された非感染者とともに安全な場所を目指す。


制作費が安い
昔のゾンビ映画もそうだったけれど、映画製作にお金をかけなくてもいいジャンルというのがある。
ゾンビ映画なんてその代表格だから、ゾンビ映画を現代風のバイオテクノロジーと混ぜるとこうなる。
同じジャンルで大コケした『アイ・アム・レジェンド』よりは、こっちの方が明らかに利益率は高いと思う。
役者も有名どころはいないし、風景の描写は綺麗だけれどどれも自然な美しさで、金をかけたVFXやCGではない。市街地の撮影もおそらく早朝に撮影していると思う。
映像に早朝の白んだ感じが出ている。
要は、その早朝の撮影も理由があればいいわけで、この映画の場合は「感染者の襲われる危険性があるから、暗い夜よりは、見通しのきく朝」という理由がある。
制限の中でも、考えることが重要だ。

0617

感染経路はダイレクト
こういうゾンビ映画でのポイントは感染力である。
空気感染であることは少ない。空気感染では登場人物が右往左往する必要性がないからだ。
もとより諦めるしかない。
この映画の場合血液である。
実際の病気で血液を媒介とするものは、AIDs、B型・C型肝炎などが有名どころだろう。
感染力は弱いが、重篤というのが特徴。
こんな病気の感染力が強かったら、宿主となる生物が絶滅してしまう。
それは、ウイルスとしても避けたいところだろう。
この映画では、血液を体内に入れたら感染するという設定だが、血しぶき程度では感染しない。
だから、直接的な噛み付くという行動になる。
まあ、こっちのほうが動きがあるので、絵になりやすい。
伝統的な手法である。

0617

ゾンビの存在で仲間が強調される
こういう映画で必ず登場するシーンがある。
仲間の感染である。
情が移っている分、感染に対する対処が遅れてしまう。
もっと複雑なものでは、本当の仲間とそうでない場合がある。
そうでない場合、裏切りと狂気がおこる。
もともと極限状態にあった精神が崩壊してしまう。
こういうとき、悲観的になった者が死ぬと決まっている。
映画では、希望こそが生き残る原動力なのだ。
また多くの場合、女性は生き残る確立が高い。
そこにも理由がある。
女性は出産という形で未来を暗示しているからである。未来を希望的なイメージで締めくくるためには、女性の生存者の存在は不可欠である。

映画には理由がある
映画は、制限の中で製作される。制限は決して創造性を邪魔するものではない。
それは、制限をなくしてしまった現代芸術の創造性のなさを見れば明らかである。
素人目に見ても、制限のあった昔の芸術のほうが、現代アートよりも芸術性が高い。人の感情にうったえるものがある。
そういう意味で、上映時間の制限のある映画に『意味』をこめるには、たくさんの無駄を省かなくてはならない。
無駄なセリフ・無駄なシーンはカットし、意味の伝わる最小の構成を考え形にしていく。
一見意味のないシーンでも、必ず意図がある。「伝えたい何か」がある。
逆に「伝えたい何かの」ないものは、駄作である。

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