パパの育児日記 ホーム » 映画メモ »悲しきエスパー‐[映画評] デッド・ゾーン

悲しきエスパー‐[映画評] デッド・ゾーン  

デッドゾーン デラックス版
クリストファー・ウォーケン, スティーブン・キング, デヴィッド・クローネンバーグ
ジェネオン エンタテインメント ( 2004-06-25 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

交通事故で5年間昏睡状態を続けていた高校教師のジョニー(クリストファー・ウォーケン)は、奇跡的に目覚め回復するが、なぜか人の未来を予知する能力も備わっていた。やがて彼は上院議員のスティルソン(マーティン・シーン)と出会うが、そこで彼が予知した未来は、スティルソンが核ミサイルのスイッチを押す姿だった…。

原作スティーブン・キングだけあって、らしさが光ります。

エスパーは幸福になれるのか?
この作品では、ネタばれで申し訳ないけれど、ジョーは最終的に殺されてしまう。
能力をもってしまったが故に、色々と不幸なめにあっている。
こういう超能力をもった人々は、物語の中でも迫害されることが多い。
例えば、X-MENではミュータントは迫害を受けているし、スーパーマンもバットマンも基本的に正体を隠して生活をしている。
それはおそらく、ヒトが自己の能力異常のものを恐れているからだろう。
人外の能力は、本来、神様のものであり、神様でもなんでもない宇宙人やら特殊な人間が、人外の能力をもつことは、存在と矛盾するのだ。
存在に矛盾を抱えたエスパーが、たとえ物語の中であろうとも、幸せになれるという道理はない。

080809

現実と非現実
物語は、現実と非現実とのバランスで成り立っている。
どんな物語もそうだ。現実だけの物語もないし、非現実だけの物語もない。
ハルヒも、宇宙人・未来人・エスパーがいる非現実的な状況だが、物語の基本線は、淡々とスクール・ライフを展開している。
デッド・ゾーンもエスパーになってしまったジョーが、最初これを公表するが、後に隠れるように淡々と生活を送るようになる。
現実と非現実とで最後に勝つのは、やはり現実である。
物語の最後では、非現実には退場願う、というのが基本的パターンだ。
現実が最後に勝たなくては、物語としてのリアリズムを失う。

080809

特別な存在ではないという認識
大人になるという事は、『自分が特別な存在ではない』ということを認識することである。
子供の頃は、とかく自分を特別だと勘違いするものだ。
それは、周囲の大人がそう見なしてくれているからであるが、成長するにしたがって、周囲も特別視する必要がなくなる。
なぜ周囲が特別視してくれたかというと、生活するうえで『できないこと』がたくさんあるからである。
能力を認めて特別視しているわけではなく、能力を認めていないから特別視しているのだ。
それを一時的に勘違いすることはあるものの、ヒトは成長するにしたがって、自分が特別ではないことに気づく。
かつての周囲の特別視は、自己の能力ゆえではなく、周囲のやさしさであったことに気がつく。
特別な存在は、最終的に必ず迫害される。
だから『大人』は、特別な存在でないことを認め、心底喜ぶべきなのである。
最近のワガママで無差別的な犯罪は、このことに気づけていない犯人の愚かさに、起因しているのではないだろうか?
『永遠の子供』は、ただ迷惑なだけである。


関連
ファンタスティック・フォー
楽しく『努力』しましょうよ‐[映画評] ドクターストップ全員感染
関連記事

category: 映画メモ

thread: 映画

janre: 映画

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tieno.blog79.fc2.com/tb.php/325-01fa819d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

読書中

RSSフィード

メールフォーム

フリーエリア

最近の記事

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ全記事表示

ベストセラー

買って良かったもの

最近のお気に入り

読了本

▲ Pagetop