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[書評] 走ることについて語るときの僕の語ること 村上春樹  


走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋 ( 2007-10-12 )
ISBN: 9784163695808
おすすめ度:アマゾンおすすめ度


私自身ランニングはしていないが、筋力トレーニングはしている。
中学生・高校生の頃、陸上部の人は何が楽しくてその競技にうちこんでいるのかがわからなかった。
ただ走るだけ、ただ跳ぶだけの種目に興味がもてなかった。
あの頃の私にとっては、スポーツはボールのあるチームスポーツだけだった。
この本を読んだ後なら、彼らの気持ちが少し理解できたのかもしれない。




言い換えれば、走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

自分にとって何が大事かということが、「誇り」につながるのだ。
「誠実さ」という意味が人によって違うように。


走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。(P23)

文章に曖昧さと「僕」と「メタファー」があれば村上春樹氏っぽい文章になる。
メタファーが決定的ななんだけれど。


今のところ僕はまだ、音楽とコンピュータをからめたくない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。(P28)

なんで、「音楽とコンピュータ」が「友情や仕事とセックス」と同じになるのか分からないが、言いたいことは理解できる。


自分のやりたくないことを、自分のやりたくないときにやらされることに、昔から我慢できない。(P54)

こういう人は学校という場所からはこぼれ落ちてしまう。学校という場所は、まさにやりたくないことを、やりたくないときにやるように我慢を教える場所だから。


刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。(P109)

運動はその見返りが自分にしかわからないことが多い。自分の中だけで完結する自己実現もある。


それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることにはかなり慣れている。(P129)

自分の得意とすることでも必ず自分よりも上手な人はいる。そういうことを目の当たりにするたびに、新しいことに挑戦できなくなるんだよね。


そして若死にをまぬがれた人間には、その特典として確実に老いていくというありがたい権利が与えられる。肉体の減衰という栄誉が待っている。(P164)

老いはマイナスではないという人もいるかもしれないだろうが、私見としては明らかなマイナスだ。
毎日、薬局でジジ・ババを見ているとそう思う。


世界が必要としているのは、名指しで「お前のせいだ!」と指をつきつけることのできる特定の悪者なのだ。

いつも世界はそうだった。大衆は悪くないことになる。


ものごとの基本を着実に身につけるには、多くの場合フィジカルな痛みが必要とされる。(P191)

これはけっこう恐ろしい事実だ。


生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる。(P230)

つまり、結果よりもプロセスに人生の楽しさを見出すということだろうか?





総合評価★★★

やはり、村上春樹さんの文章は「読ませる文章」だと思った。
セックスや人が死ななくても、村上春樹は村上春樹だ。
メタファーとか難しいことはこの際言わない。
とてもフィジカルに響いてくる言葉なんじゃないか。


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2012/02/13 05:45 | edit

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